ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■6690、閑話小題 〜つれづれに哲学
後世に残ることになった。スピノザが全体性と要素の関係論と対比するならば、
キルケゴールは、全体性を担う神と、単独者としての自分の実在的な関係を
問うたということが出来る。>(「哲学で自分をつくる」瀧本往人著・引用)
―
<私たちは、自分がなぜこの世に生れたかを知ることなく、孤独な単独者として
自分の存在に向合い、どう生きていくかを自分の責任で決断していかなくては
なりません。キルケゴールは、この意味での主体的実存こそが、哲学の主題だと
主張する。これ以外の、理性的、ないし普遍的真理など、どれだけ手に入れても、
無意味に過ぎないことを知るべきという。数の論理に個人のかけがえなさが押し
流される当時の風潮を感じ取り、それに対して批判をしたのが実存主義である。
彼に言わせれば、「私にとって真理であるような真理を発見し、私がそのために
生き、そして死にたいと思うようなイデー(理念)を発見することが肝要」です。>
(「世界の哲学・思想」小須田健著・引用)
―
▼ 還暦・古希を過ぎ、同世代の数が減るにつけ、単独者としての自我が強く
なる上に、孤老の問題が出てくる。否が応でも、実存的傾向が強くなる。
老い先が短くなると、過去への眼差し、「この私」に向かう傾向が強くなり、
それは普遍的理性が脇に追いやることに…。全体としての神より、内なる神、
両親の、故郷の温もりの実存的感覚が優先的になる。全身の五感で感動し、
感涙し、実際に存在してきた感覚こそが、生きている証になる。老いて、消え
去ろうとするときに、「自分は世界の一部に過ぎないが、かけがえのない<私>
という実存、「他の誰とも違う自分」という実存を、認識するのである。
個人HP内の検索で「キルケゴール」と検索すると、以下の内容が出てきた。
弱い人間には、『ありがとう』の他に、『大丈夫だよ』の言葉の内語が必要!
いま一つ、『今を愉しめ』がある。
… …
追記: 不安といえば、ムンクの「叫び」がある。 〜ネット検索によると…
《 ムンクといえば誰しも、「叫び」と題された一点の絵を思い浮かべるだろう。
真赤に染まった空を背景にして、一人の男が橋を渡ってこちらに向かっている。
男の顔は大きくゆがみ、両手を耳のあたりに当てている。その表情には恐怖が
読み取れる。男が恐怖のあまりに叫んでいる、そういう切迫感がある作品だ。
この「叫び」に限らず、ムンクの絵は人間の精神の現れを感じさせるものが多い。
絵におけるそういう傾向は、二十世紀に入ってから、表現主義の運動などを中心
にして高まってきたのだが、ムンクはすでに19世紀中にそのような作品を作って
いたわけだ。》
いま何時に、余命宣言をされても不思議でない年齢に入った。
そして、この絵の人のような心情に陥り、孤老の灼熱地獄に入るのだろうが!
――――
2004/07/06
1190, 大丈夫!−2
* 哲学について−13
ー不安の哲学ー キエルケゴール
「大丈夫!」を繰り返すことで、漠然とした不安感が半減すると前に書いた。
これを読んでいて、もし鼻先で笑っている人がいたら、その人は表面的人生
しか生きてない人? 不安感は大きい人ほど、それは自分に目覚め、自由と
可能性を考えているか、生きているからだ。
大丈夫!を繰り返すことは、単純だが、毒消しに絶大の効果がある。
《 単純であるが、どうしてそこまで心理的の効果があるかを考えてみる。
人間の不安の90数lは、考えすぎの影でしかない。
ルーズベルト大統領が就任演説で言ったという、
「われわれが恐れるべきは『恐れ』そのものだけである」
人間は全て、恐れから派生する大きな影に脅えているのだ。
その意味で「大丈夫」を繰り返すこととは、90lの影を消す効果がある。
不安といえば、哲学者のキエルケゴールが主題にしたテーマである。
彼が考えた「不安」は「ああもなれる、こうもなれるという、いろいろな
可能性を持っているからこそ、不安が生まれる」と考えた。そして「不安は
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07月10日(水)
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