ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■6268,閑話小題 〜「これ以上はいけない」と宣告する境界線 −4
司法や医療や教育はひろく社会的共通資本の中の「制度資本」にカテゴライズ
されるけれど、これらはいずれも「わからないはずのことが、わかる」という
人間の潜在能力を勘定に入れて設計された制度である。これらはいずれも
「存在しないもの」とのフロントラインに位置する「歩哨的制度」である。
人間の世界の内部では「存在することが明証的であるものだけが存在する」
「存在することのエビデンスの示されないものは、存在しない」というルール
が適用されている。 「内部」はそれでよい。
でも、「存在しないものとのフロントライン」では、そのルールは通用しない。
そこはまさに「存在しないはずのもの」が「存在するもの」にかたちを変える、
生成の場だからである。そのような場にどのようにして「歩哨的資質」を持った
人々を配することができるか。 子どもたちのうちから、そのような「歩哨的資質」
を備えたものをどうやって見出し、その能力を選択的に育成してゆくのか。
これは原理問題ではなく、純粋に技術的な問題である。≫
――
▼ 世界の平和の先行きが、裁判長レベルだけでなく、世界の重大事項の決定権を
持つトランプ、プーチン大統領、習主席、金主席が、あってはならない世界大戦
の世界への歩哨とすると、これは重大問題にある。殆ど世界政治の経験のない、
彼ら、とりわけトランプに核弾頭のカバンが渡ってしまった。さすがの、何も
恐れをなして… として、誰の眼にも、これで済むわけがない。怒れた歩哨が、
門戸に立ち、今まさに開けんとする重大危機に立っていることを忘れるべきで
ないと著者は言いたかったのでは… 。 「気違いに刃物」とは、このことと?
<気違いに刃物、大衆にポピリズム!>
ポピリズムを検索すると…
【一般大衆の利益や権利、願望、不安や恐れを利用して、大衆の支持のもとに
既存のエリート主義である体制側や知識人などと対決しようとする政治思想、
または政治姿勢のことである。日本語では大衆主義や人民主義などという。】
歩哨に立つ、あの方がた。大衆を「下衆」、いや虫けらぐらいでしか見てない。
門戸の向う側の何かしらが、彼らを選んだ可能性も考えられる。その狙いは?
狂った猿の自滅ですか? 若い人は面白いが辛い時代を生きねばならない。
・・・・・・
4439, 「死ぬのが怖い」とはどういうことか ー9
2013年05月12日(日)
ー「死ぬのが怖い」とはどういうことかー前野 隆司著
ーこれまでの7つの登山道を更に簡略すると、次になる(後書きより)ー
・ ルート1は、心は幻想だと理解する道。
脳神経科学の知見から考えると、意識される今は幻想だ。
今とは、未来や過去が調整されて今だと思わされているに過ぎない。
自分が主体的に行っているとリアルに感じる意思決定も、そうしていると
思い込んでいるだけだ。
僕たちは「生きていると錯覚しているだけだ」と考えざるを得ない。
・ ルート2は、すぐ死ぬことと、あとで死ぬことの違いを考える道
所詮はいつか死んでしまう、ということから人生を考えると、今死んでも
あとで死んでも同じよなものだ。人生は死刑のようなもの。だが、それは、
悲観的なものではない。生まれてきた奇跡を、この宇宙的ラッキーを、
ポジティブに捉えようではないか。死ぬことが悲劇なのではなく、
生きていること自体がすばらしい奇跡なのだ、と。、
・ ルート3は、宇宙サイズの視点に立って、自分の小ささを客観視する道。
138億年前にできて、直径276億光年のサイズを持つ巨大な宇宙。この宇宙
スケールから見ると、何て人間は小さいことか。しかも、地球上に70億人も
うごめいている人間。あなたはその中のたったの一人に過ぎない。全体から
見ると、あなたが自分の死にこだわることは、極めて部分的些細なこと。
・ ルート4は、主観時間は幻想だと理解する道。
客観的な時間は、138億年にわたって、一秒ずつ確実に時を刻んできた
かもしれないが、主観的な時間は、それとは異なる。過去と未来は圧縮され、
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05月12日(土)
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