ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■6104,閑話小題 〜再び「幸福アドバンテージ」について −1
残り2日は家事に専念する「リア充」の張本人。けっこう多い内向きの友人
について、「何で外に出ないの? 外出が週一から二日。お金も暇も学歴も
あるのに?」と宣う。「貴女が行動的で、知人・友人が普通だよ」と言うと、
不思議そうな顔をする。 それに対し私は、早朝のミニ・チャリと、スポーツ
ジムと、週一のシネマ館のみだが、私は内向きのリア充のため?
「リア充コンプレックス」はない。TVとPC、シネマとSJ通いがあればよい。
〜その辺りから
≪ 少し前に、こんな文章がTwitterで話題になったのを知っているでしょうか。
中学生「小学生の頃は良かった」。 高校生「中学の頃は良かった」。
大学生「高校の頃は良かった」。社会人「学生の頃は良かった」。
退職後「働いてた頃は良かった」。 いい加減気づけよ、今が一番楽しい事に。
―私たちはしばしば過去の自分と今の自分を比較し、「あの頃は楽しかった…」
なんて言いがち。でもよく考えれば、その時その時が一番楽しいってことでは?
そんなことを気づかせてくれる素敵な文章ですね。近頃私たちは、この
「その時その時を楽しむ」という意識を忘れがちです。ではなぜ、この感覚が
薄れてきてしまっているのでしょうか。「昔は良かった…」となげくだけなら
ともかく、今の自分の日々がなんとなく充実していないかのように感じてしまう。
これは単なる懐古主義や、思い出補正という言葉では片付けられません。
では本当の原因はなんなのか。それはずばり“リア充”です。
もうすっかり定着しつつある“リア充”という言葉。このなんともあいまいな
「リアルが充実している人」という言葉を聞いた時、私たちはどんな人物を思い
浮かべるでしょう。交友関係が広くて、素敵な恋人もいて、日々何かに打ち
込んでいて人生をエンジョイしている…なんてイメージが思い浮かぶと思います。
ではこのリア充という言葉を使うのはどんな時か。
「あの子はリア充だからいいよねー」「私はリア充じゃないから…」
私たちがこの“リア充”について言及する時、多くの場合リア充と自分自身とを
比較するような文脈で使っていませんか? 逆に「私こそがリア充だ!」と声高
に主張するような人はいないですよね。
私たちが日常を省みるとき、自分よりワンランク上の存在=リア充を勝手に
想定してしまっているのではないでしょうか。
「仕事はやりがいもあるし楽しい…けれど、恋人ないからリア充じゃない」
・・(略)
この“リア充”は、他人とは限りません。過去の自分と現在の自分を比べ、
「あの頃は楽しかった…」と感じてしまうこともあるはず。過去の思い出を
懐かしむということは、もちろん悪いことではありません。しかし思い出に引き
ずられるあまり、今の自分の幸せを見失ってしまうのは悲しいことですよね。
他人に捕らわれず、自分の日常を受け入れ、日々楽しむ。それこそが真の
リア充の姿ではないでしょうか。そうした気持ちこそが新しい出会いを受け
入れることにつながり、そうすれば、愛情やパートナーにも恵まれ、結果的に
いわゆる「リア充」になることができるのです。
表面的なリア充を手放すことこそが、真のリア充につながる。
一見難しいけれど、簡単なこと。ぜひがんばってみてください! ≫
――
▼ 去年、家内に、『TV、PC、スポーツジム通いの平凡の日々に、飽きない?』
というから、『現役時代は、圧倒的なプレッシャーがあった。現在の生活も
慣れば、それなりに面白い。差引同じぐらい!』と応えていた。親戚の法事で
何時もボヤク80歳半ばの人、現実に溺れて川を渡れないで、リア充コンプ
レックスに取りつかれた人。 周りを見渡せば死屍累々に思えるが、
これも私のリア充の上から目線か?
・・・・・・
5372,楽しむことを人生の目標に 〜�
2015年11月29日(日)
今だから言えることだが、あの会社清算?倒産?騒ぎの時、意外と冷静に
一つ一つを見極めている自分が、もう一人、間違いなくいた。30年来、月次監査
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11月29日(水)
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