ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■6094,閑話小題 〜「かあちゃん、怖い!」
▼ ベランダのインコが、ガラス戸越しに触れあいを求めてピッピと呼びかける。
 振返ると同時に、たった一つの芸の「枝回転」をたて続けてする。
多い時で50回の記録がある。今では10回がせいぜい。その時、笑顔でヨシヨシと
声をかけながら、家内共々、拍手で応える。餌が欲しい時、寂しい時、席を立つ
とき、鳴声で呼掛けて、回転芸で自分の意思を伝えようとする。人が拍手を
する時は、ほぼ笑っている。握手も似ている。これは一対一で、親交を示す行為。
それと、手中に何も危害を加えるものは有りませんよというサインでもある。
拍手は、握手の替りに、それぞれが個々にする行為。大統領などが、群集の前の
挨拶で、両手を組んで親愛の情を表現するのも、片手は皆さん、片手は私と
見立てた行為。秘境の絶景に出会った瞬間、心の中で、「万歳!」と叫ぶのは、
感動に感謝が加わった極みの感情。賞賛をされるのは難いが、気軽なミニ・賞賛
なら幾らでも可能。 その、気楽なミニ賞賛が出来るかどうか? とすると、
我家のインコは、なかなかツボを心得ている。
  
・・・・・・
5362,うらやましい死に方 〜死の前に一人でお遍路へ
2015年11月19日(木)
            ーうらやましい死に方ー五木寛之[編]
 妹に対する姉の愛情が行間から溢れ出ている内容で涙を誘う。
 人の一生は、世界と同じく深くて広い。生きてきたように人は死んでいく。
   * 死の前に一人でお遍路へ   日引美江子(京都府宮津市52歳)
≪ 四人姉妹の末子K子(四六)は、七タの夜ホスピスで亡くなりました。
 死の間際「私達姉妹で良かったね」と声をかけると「有難う。さよなら」と
右手をちょっと上げて答え、それが最後の言葉となりました。ペルーが好きで
インカの遺跡を上空から眺めた時の感動をよく語っていましたので、枢の中を
ひまわりの花むぎわらだびで埋めつくし麦藁帽子と好きだった煙草を入れ茶毘に
付しました。その日の夏空はどこまでも青く澄み"コンドルは飛んでゆく"の曲と
共に妹の魂が天空に吸い込まれていくように感じました。
妹は大学院を出た後渡米、文化人類学で博士号を取得、帰国後は年老いた
父親との二人暮し、大学の講師や翻訳をしながら自由に世界中を闊歩し生き生きと
暮していました。妹なりの切り口で見たこと感じたことを面白おかしく話して
聞かせてくれ、私共もそのような妹を見ているのが楽しく好きでした。しりめ
そんな妹からある日突然「私は癌」と告げられオロオロしている私共を後目に
手術・抗癌剤・放射線治療と続き、その後仕事に復帰、以前と変わらぬ活動的な
日々を送っていました。よもや再発との気配は感じられませんでした。
ところがその又二年後のある日突然、「実は術後すぐ再発していた、自分なりに
調べ考えたすえ、治療はせずに自然に生きられるだ星きようとその時決めた。
いよいよその時が来たから私は今からホスピスに入る」と淡々というのです。
・・(略) 死の五ヶ月前、四国八十八ヶ所を一人巡り、高野山にも参って
いるのです。遍路体験を‘日本版ホスピス’と言い「踊る阿呆に見る阿呆、
同じ阿呆なら踊らな損々というのはすごい真理だと思う。途中行き倒れても
向かう先はお寺だから安心、次の札所までという目標があって自然の中を歩いて
いる方が寝ているより健康的なのは確かです。病人だから歩けないと思うのは
思い違いである場合も多いと思う。生きている限り寝ていてもエネルギーは
使います。とにかくお遍路さんは最高です」と友人にメールを送っています。
 そんな話を聞いても私は再発し死期が迫っているとは考えず、不断の好奇
心旺盛な妹の行動と思っていました。気付いてやれなかったことが悔やまれて
なりません。知ったところでどうしようもなかったでしょうが、明るい言動
とは裏腹に一人悩み苦しんだ夜もあったろうと思うと未だに涙がこぼれます。
でも最後まで誰にも知らせず胸の内にしまい生き続けたことが、妹なりに
学んだ哲学を、自分の生き方の中で実践したということなのでしょう。

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11月19日(日)
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