ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■6057,閑話小題 〜歯科医院、眼科医院の経営事情は…
そうやってグチをこぼしてみたところで疲れが軽くなるわけではない。
「気分がすぐれない」場合でも同じだ。 自分の気持ちを伝えれば、相手に
少しでも力になってもらえそうな場合についてはそうすればよい。今、問題と
しているのは、グチられたところで、ただがまんして聞く以外は何もできない
相手に向かって不平を言うことである。
さらに言えば、本当に自分を愛する気持ちに立ったうえで何らかの苦痛や
不快を感じているなら、誰かに寄りかかって自分の重荷をともに担ってもらう
のではなく、むしろ自分の力で何とかしたいと思うはずである。
自分自身のことで不平を言うのは無益な行為であり、そのおかげで効果的な
生き方ができなくなってしまう。 自分を憐れむだけで、気持ちが凝り固まり、
愛を与えたり受け入れたりする努力ができなくなる。愛情で結ばれたよりよい
関係が生まれる機会も、人間関係が広がる機会も減ってしまう。
不平を言えば人の注意を引くことができるかもしれないが、そうやって
注がれた人の視線という光は、自分自身の幸福の上にくっきりと黒い影を
落とすものなのである。≫
———
▼ 不快な不平家は、10人に1人は存在する。歳を重ねるにつれ、それが
 内幕情報屋に変形し、自らの不平を他者に投影するようになる。その毒で、
お互いを縛ばり、ヘドロ化したのが、ゾンビのような「世間人」という。
自分を愛するには、自分の趣味を持ち、その世界を持続すること。
 で、これも文脈として偶然だが、以下につづく。

・・・・・・
5325,野良猫と、飼い猫、どちらが幸せ?
2015年10月13日(火)
 飼い猫と野良猫、どちらが幸せだろうかを考えるとき、野生ライオンと、
動物園のライオンの、どちらが幸せかを考えれば直ぐ答えが出るだろう。
初めてケニアのサファリ・ツアーで、野生ライオンを見たときの驚きを今でも
鮮明に憶えている。動物園のライオンと全く違ったサバンナの野生ライオンは、
全身張詰めた緊張でオーラが漂ったような空気を張巡らせていた。
動物園のそれは、緊張感のない、虚脱した飼犬のような動物。猫は数千年かけ
野生の猫を、飼い猫に人工的につくられた。そのため、飼い猫と野良猫を比べ、
飼い猫の方が遥かに、長生きするし、適応しやすい。飼い放しの外猫と、
卓上の猫と、どちらが「猫らしい」のか考えると、難しい問題になる。
このことは犬にも言えるが、話が長くなるから止めておく。
 で、人間の生き方を、飼い猫か、野良猫の生き方から考えると面白い。
人間が人間たらしめているのが、「言葉」という情報手段の獲得である。
そして、それを記録する「文字」の発明。これで間接情報を子孫代々に
書き送ることが可能になった。そして、今ではネット時代である。
それが、プラス面だけでなく、マイナス面でも働くため、問題は大きい。
人間は元々野生猿が進化した生き物。野生猿と、文化的側面を持つ人間の
両側面を持つ存在である。結果として、文明・文化を身に付け、本性は野生味
を持って人生を全うする生き方が人間らしい生き方になる。 人+間で人間。
人の間で生きていくしかない。 野良猫の世界では、猫間の自然ルールがある。
飼い猫のように御主人様の顔色を窺がっていればよい世界とは違う。まずは餌!
 新たに会社を立ち上げる創業は、一見、面白そうだが、実は野良猫的要素が
絶対必要条件になる。新規事業や、独立の相談を何度か受けたことがある。
サラリーマン人生の人なら、大方、「飼い犬が野良犬になる覚悟があるかどうか
を何度も自分に問いかけて、その覚悟がありなら、24時間、寝ても覚めても、
目標に邁進すればよいですよ」と進言する。大部分が、野良猫、野良犬の言葉で、
心中、怒ったり、迷いが出る。覚悟がない限り、創業など、大小にかかわらず、
するべきでない。他人の失敗のあげ足取りをしていた方が飼い猫的で無難。
 ある某フラのOB会らしき飲み会の隣席で、その話題の質の低さに、唖然とし
聞いた。 何もしない、できなかった老壮年達の傷の舐めあいも、飼殺しされた

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10月13日(金)
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