ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■6056,閑話小題 〜恐ろしい身近な現実 −2
「よく学び、よく働き、よく遊べ」がある。他に加えるなら、「よく楽しめ」
を加えたいが、「よく」の中に、楽しみが入っている? とすると、
「よく休め」が考えられるが。
★ 自分の人生を存分に楽しめ! 〜p−26より
≪ < 生きよ・・ おのれ自身たれ・・ 楽しめ・・ 愛せ! >
私たちに、いつも決まってついてきて、影のように離れない“お供”がいる。
それは「自分自身の死」。“この客人を恐れることも、あるいは 自分の
利益のために利用することもできる。どちらを選ぶかはあなたしだい”と。
“ 死は永遠であり、生は息つく間もないほど短い。そこで自問してみよう。
・「本当にやりたいと思うことをしないでよいのだろうか」
・「自分の人生を他人の望むとおりに送ってよいものだろうか」
・「ものは貯めるに値するほど大切だろうか」
・「やりたいことを先延ばすのが賢明な生き方といえるのだろうか」
おそらく、その答えはほんの数語にまとめることができよう。
< 生きよ・・ おのれ自身たれ・・ 楽しめ・・ 愛せ! >
自分の死を恐れてもかまわないが、それは無益なことだ。
一方、死を効果的に生きるための助けとすることもできる。
ロシアの文豪トルストイによって描かれたイワン・イリイチの言葉
(『イワン・イリイチの死』)に耳を傾けてみよう。
彼は、ことごとく他人中心に過ごし、体制に適合するために自分の人生を
自由に生きることを放棄してきた一生に思いをはせながら、万人を平等に
する死神を待っている。
【 もし私の一生がすべて誤りだったとしたら・・・・」
以前には到底考えられなかったことが、つまり人生を過ごすべくして
過ごしてこなかったということが結局のところ真実なのかもしれないと、
ふと思った。これまで、ほとんど感じとれない程度の衝動は即座に抑え
つけてきたが、そういう衝動のほうが本物で、それ以外は偽物だった
のではないか。職責も、生活や家庭の切り盛りも、社会的あるいは職務上
の関心も、みんな偽物だったのかもしれない。こういうものを一切合財
しっかり守ろうとした私は、突然自分が守っているもののもろさを感じた。
守るべきものなど何もなかったのだ。
自分の人生に積極的に働きかけるべきか、自分自身で選択すべきか
などと思案し、考えあぐねたときは、こう自問してみることだ。
「私はいつまで死んだような人生を送るつもりなのだろうか」】 ≫
――
▼ ハイデッガーが、「世間人」が、あまりに『死』から、目を背けて
いることを指摘。「死の哲学」を真正面から取り上げた。ガンで死の
恐怖を平気で口に出している男に、「死」について薀蓄の話をすると、
近くの世間人が、いわく有り気に、『暗い!』と宣う。 受けを狙った
のだが、顔色からみて、重症病気もちのようだ。だから、聞く耳持たない、
いや、持ちたくないのである。
「本当に人生でやりたいことがあったのか?」
「他人の顔色を窺い、その価値観に従った生き方を良しとして」
「ものを貯めることに汲々するのが生きる値すると信じ」
「やりたいことを先延ばしをする」を良しとする生き方だろう、お前さんは!
舟底に牡蠣の貝殻(常識)を一杯つけて身動きが出来ない人たちの一員。
誰でもない、私自身ではないか! もっと酷いのは、気付いてない貴方か?
・・・・・・
5324,「ウェブ2・0」はどこへ消えた? ーA
2015年10月12日(月)
ーウェブ2・0」はどこへ消えた?ー古市憲寿
* 「残念」な日本のネット社会
ネットが普及し、「ウェブはバカと暇人のもの」になってしまったというが、
アラブの春の民主化が正しかったのか、間違っていたのか? を例にとると
分かりやすい。独裁者は、「バカがウエブで繋がった結果」と見ていたのだろう。
烏合の衆は、所詮、流砂のように掌から零れ落ちていく。ネットの利点は計り
知れないものがある。当然、その影は付いてくるが、それも一つの社会悪と
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10月12日(木)
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