ID:54909
堀井On-Line
by horii86
[383909hit]

■5952,閑話小題 ーシネマ『22年目の告白』
があったとしたら、せいぜいのところ1・2倍くらいの数値を残すにちがいない。
物質的な豊かさのもたらす幸せが正比例的になるなどということは原理的にあり
えないのです。しかしながら、こうしたことが幸福の必要条件であるとしても、
それはあくまで一定以上の収入があった場合に限られます。
生活を維持するのに欠かせない最低限の収入がなければ、人は幸福と感じる
ことができないのです。「恒産なければ恒心なし」です。
 ところで、一昔前の日本人のアンケートに対する回答を見ますと、
「自分は中流である」と考える人の割合が90%近くに達していました。
これは、自分は健康で、負債がなく、良心にやましいところがないばかりか、
一定以上の収入があると考える「恒産あるゆえに恒心あり」の人が90%近く
いたことを意味しています。つまり、日本はかなりの程度まで理想的な社会に
近づいていたのです。
 それなのに、いまはどうでしょう。「健康で、負債がなく、良心にやましい
ところのない」のにもかかわらず、幸せを実感することのできない人々が、
社会の両方の端でどんどん増えてきているのです。片方は、当然、一定以上の
収入を持たない「恒産なし」の人、つまり、ワーキング・プアの人々の増加です。
これらの人々は、最初のうちこそ、健康で、負債がなく、良心にやましいところ
のない状態でいられても、収入が次第に減じていけば、そのうち負債が生まれ、
健康でなくなり、ついには良心に疚しいことまでするようになるかもしれません。
これは、大きな社会問題です。しかし、二十一世紀の社会にとってより解決困難
なのは、もう一方の端、つまり富裕層における不幸せな人々の増加です。≫
▼ 確かに、500万と5000万の収入で、10倍の幸せは得られないが、10倍で
 ないとしても、散在の行蔵は、その中に、何かを残してくれる。より稼ぎ、
より使ってこそ、お金(能力)である側面を持っている。小・中・高・大学と
進学するにつれ、幸せそうな人が格段に増えていく。両親の質?で、その前提が、
ある程度、決定される不条理がある。結婚相手も、つり合いで選ぶケースが多い。
結婚も、「悪貨が良貨を駆逐する」。いや、結婚そのものが、そういうものか。
・・・・・・
5222,閑話小題 〜中学校の古希会 〜A
2015年07月02日(木)
   * 中学校・古希での見聞とは
 卒業から古希の会まで半世紀以上、それ以来、初めて出会った人が何人かいた。
また、様々な日々を過ごしている人の話を聞いたが、それがユニークで面白い。
<月に一度、東京駅近くの居酒屋に大学時代の友人が集まり、13〜17時まで
酒を酌み交し、17時半の新幹線で帰ってくる。年に一度ぐらいは、それぞれの
地方の友人の所を訪ねて、地元を案内してもらう。>とか。
<去年、大病をして死線を彷徨い3ヶ月入院した。>とか、女性では、
小児麻痺で、片脚が少し短く、俗にいうビッコをひいていて、何時もオドオド
していた女性が、最近、手術で正常に戻り、見違えるほど明るく、嬉しそうに、
「正直に本当に嬉しい!」と言っていたり、少し暗く神経質だった男が、
明るい人格者風?な教師になって、<出世コースを登るか、教師として現場に
残るかの分かれ道で、現場に残った。それが良かった!> とか、様ざま。
 私のように地方で、肩肘を張っていたのが、9・11テロ、9・15のリーマン
ショック、3・11地震であえなくダウンしたのもいるし、田舎の成功者?として、
金を、これ見よがしにチラつかせていた人が、??で倒れ、死の恐怖に怯えて
いる人もいた・・  駅前を学校区にした中学校は、分類される直前のため、
「人生の事前事後」が漫画的に垣間見えてくる。たかが人生、されど人生である。
還暦より、古希の方が、様ざまな人生が色濃く出てくる。 とすると喜寿は?
   * つれづれに
 新幹線内の焼身自殺があったが、50年間、犯罪?による死者が無かったとは
奇跡的である。 際どい場面を、新幹線内で目撃をしてきたので、「半世紀」も
無かったこと自体が、不思議である。車内や、ホームには隠しカメラとか保安が

[5]続きを読む

07月02日(日)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る