ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5943,閑話小題 〜美しさとは何ですか
  番組のあと、立花隆は『文藝春秋』にこう書いています。
<『放送した番組を見ました』とか『面白かったです』という反応はあるのだが、
 今回は『有難うございました』と多くの人に言われた。こういう経験は初めて
だった。何故かと言えば、エンディング部分で『死はそれほど恐いことじゃない。
おそらく眠りにつくのと同じくらいの心の平静さをもって死ねるはずだ』という
ところに共感を持たれた人が多かったのではないか。年をとればとるほど誰しも、
自分が死ぬ時はどういう風に死ぬんだろうと気にかかる。しかし医療技術が
進んだ今日、お迎えが来るまで、けっこう時間がかかるものらしい。
 人間最晩年になると、もうこれ以上生きていなくてもいいやと思いつつ、
それでも自分から進んで最後の旅に出る気にもならない。ある種の優柔不断の
中に生き続ける。その根源にあるのは、最後の旅の中にどうしても残る一定の
未知の部分への不安だろうと思う。あれだけお礼をいう人が多かったのは、
未知なる部分への恐れをあの番組のエンディングがあらかた取り去ってくれた
ということを意味している>
 私は、立花氏のこの取材を、「膝を打つ」快挙と思いました。
私自身、死の恐怖が薄れていくのを実感しつつ、未知なる部分に向かう旅の道
のりを静思しながら、「死はそんなに怖くない」と同じことを思い、それを
大きな声で言う人がもっといるべきだと思っていたからです。
 立花氏は、その後もNHKに再登場したり、『文藝春秋』『週刊文春』へ、
「死ぬとき心はどうなるのか」のレポートを次々と掲載、話題になりました。
その『週刊文春』の中では、立花氏はこうも書いています。
「回復の望みがなく、あとに待つのはひどい苦痛ばかりということになったら、
そして本人の望みがそれしかないなら、安楽死は許されて然るべきだと思います」
こういう極論を有識者が言ってくれると気持ちがとてもラクになります。
「どうしても苦しくなったら安楽死を選んでもいい」と思ってもいいのだ。
もちろん外国で安楽死をするのは心情的に躊躇するものがありますが、
「伝家の宝刀」を抜いてもいいと後押ししてもらえるだけで、心強いです。≫
▼ 死ぬ原因は、生まれてきたため。死亡率100%である。当り前のことだが、
 生まれる前には存在してなかったし、死んだ後にも存在しない。宇宙時間
からすれば、平均寿命の80年は、一瞬である。その中にあって、そのことが
自覚できないで、蓄群の常識とやらに惑わされ一生を終える。それもこれも
妄想でしかない。同じ妄想なら、より鮮明にみたいもの。映画、TVで映像
による妄想を、書籍で文字を通した妄想を鮮明化してみれば良い。せっかく、
貰った人生、より広く、深く、味わって終えたいもの。 もっと、貪欲に!

・・・・・・
5213,閑話小題 〜私の高度成長時代
2015年06月23日(火)
   * 私の高度成長時代
 文藝春秋:2月号の特集に、『素晴らしき高度成長時代』の特集があり、
それぞれの高度成長時代の思い出の手記があった。1960、1970年代では、
今では想像を絶する右上がりの経済成長の時代で、各家庭には電気洗濯機、
テレビ、冷蔵庫が普及をはじめていた。昭和39年には東京オリンピックが
開催され、私は団塊の世代の直前の生まれで、同期の競争という面では、
絶対数が少ないこともあって、競争意識が少なく恵まれた環境であった。
 10歳までは駅前の繁華街に、11歳〜18歳までは長岡駅裏に住んでいた。
高校を卒業直後に駅より徒歩10分の今朝白に両親にとって終の住家として、
当時としては豪邸を建てていた。その直前に進学のため上京した学生寮に、
何かの縁で入ったが、そこが500坪の敷地内に馬小屋のような「くの字」の
平屋。土間の通路の片面に、4畳半と6畳の部屋が20室ほど並んでいた。
 そこは今でいうシェアハウスのような共同生活で、国内の様々な地方出身の
学生が住んでいた。 各部屋にはドアがあるが、誰かがノックをすれば、
入室拒否が出来ない不文律があった。それで、様々な赤裸々な私生活を知るが、

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06月23日(金)
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