ID:54909
堀井On-Line
by horii86
[383567hit]
■5925,閑話小題 〜「あきらめる」健康法
最中の混乱で、『基低欠損』が大きくあったような。
〜これは、何れの家庭にいえることだが。条件と原因は、ほぼ同じ働きをする。
≪山田:自覚はしていないけれど心の中に空洞を持っている人間、寂しさを抱えて
いる人間は、そこを埋めたい埋めたいと意識の下で思っている。だから、時々、
ヒステリカルに怒ったりしてみんなに嫌われたりするということでしょうか。
名越:寅さんは第二作で実の母親に会います。しかし京都でラブホテルを経営して
いる母親役のミヤコ蝶々さんがこれまた強烈で、せっかく念願の親子再会を果た
したのに、「今頃、何の用やねん。あっ、銭か、銭はあかんで」と、サラッと
言われてしまう(笑)。
山田:撮影した後、そういう残酷な母親を演じさせた僕に、蝶々さんは
「気にしなくてもいいんですよ」と言うんですよ。「わてはこういう汚い役は
好きなんや。その奥に、人間のキラッとしたものが見えればそれでええんや」
と言っていました。
名越:さすが蝶々さんですね。この第二作の中で、蝶々さんは「どの世界に、
喜んで子供を捨てる親がいるんじゃ!」とズバッと言いす。-このセリフが心に
残るんです。ぞしてラストシーンでは、橋の下で、寅さんが母を追いかけている。
あの場面は本当に象徴的で、カウンセリングを山のようにやってきた人間から
すると、「そうそう、これしかないんだよな」と思います。つまり、子供の方が
一生懸命、親の「理想像」を作り、それをいつも追いかけているんです。≫
▼ 母親が亡くなった時、医師の依頼で、解剖をすることになった。
兄二人が、たて続きに不幸な死に至った苦悩で極度のノイローゼに陥って、
数年間、心筋梗塞などで死線を彷徨った中で、心臓の4分1が壊死をしていた
ことがわかった。医師は、よく生き延びていたと、驚いていた。その中で、
生き残った6人に、深い『基底欠損』が、当然あった。青年期に至るまで、何度
も亡くなった兄二人が夢に出てきていた。その傷を抱え、膨大なエネルギーを
要する創業を、我ながら目指したもの。その経験があるため、第三者の批判の
軽さに心底から蔑視ができる。批判は自分の影に対する反映でしかないのが
自覚できない。影口の呟きで、自分の壁をつくっているのが、俗にいう世間人。
〜で、また偶然だが、以下につづく!
・・・・・・
5195,魂が擦り切れるまで哲学に徹したか
2015年06月05日(金)
* 哲学という気晴らし 〜『人生、しょせん気晴らし』中島義道著
こういう文章を読むと、<この10〜20年、独学で「哲学」を学んできま
した>など、よくも言っていたと自嘲をする。どの道も、命がけでなければ
プロとはいえない。「ひきこもり」と「哲学をする」は、紙一重。
20歳代に、スランプになると、度々、六日町にある「雲屯庵」という禅寺に
本を持ち込み座禅をしていたが、そこの若い雲水が、時々、「野狐禅など
してもしなくても同じだ」と強烈な批判をしてくれた。若い雲水は命がけで、
禅道を歩んでいるのに、少しの挫折で横たわる代わりの私の野弧禅など、
この馬鹿野郎である。しかし今から考えると、決して無駄ではなかった。
これと同じことが、哲学の道でもいえる。 〜その辺りから(p91)
≪ 私が哲学にのめり込んだのは大森荘蔵先生に会ったからである。東大
法学部に進むはずであった二十歳の私は、突如哲学に鞍替えしようと決意した。
その頃、大森先生の書いたものをむさぼるように読んでいた私は、大森先生に
じかに会って、いったいこんな自分でも市民から哲学者という「ならず者」へと
転落する資格があるのか賭けに出た。「駄目だ」というわずかな言葉をも、
視線をも、サインをも見逃さず、その時は哲学を潔く諦めよう。
こうした悲壮な決意で先生に対したが、思いがけないことに、私は先生から
文句なしの適性を保証されてしまった。「来なさい」と言われ、胸も張り裂けん
ばかりに嬉しかったが、同時に奈落に突き落とされた。ああ、これで俺はもう
[5]続きを読む
06月05日(月)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ
[4]エンピツに戻る