ID:54909
堀井On-Line
by horii86
[383198hit]

■5905,閑話小題 〜映画評:『スプリット』
にはそのほうがわかりやすい。DNAはA、T、G、C(塩基物質の名前の頭文字)と
いう四種の記号でプログラムが書かれるのである。
 人間には人間のプログラムがあり、ブタやダニにはそれなりのプログラムが
ある。私が何ものであるかは、このプログラムによって決定されるわけである。
 DNAのプログラムは自分が生き延びるように動く、そういうようにできている。
サバイバルの方法はといえば、それは自己の複製(コピ!)を作り出すこと。
私たち人間は有性生殖の生き物であるから、コピーの作業は異性との性交と
いう行為を通じて実現される。できるだけ多くのコピーを製造すること、これが
DNAの基本的機能である。DNAはそうするように作られている。雨が降るのと同じ。
 そのために、DNAのプログラムは私たちの身体を適当なときに発情させ、複製の
行為と駆り立てるのである。こうしで私たちは異性を追いかけ回すようになる。
人間誰でも年頃になれば、発情するようにプログラムされているということになる。
 ☆ 遺伝子は永遠だ
間違いなくいえることだが、私はいつか死ぬ。私の身体はやがて滅び去る。
しかし、私が子どもを製造する限り、私を製造しているDNAプログラムは
少し書き換えられて、子どもにコピー(複製)される。個体としての私は死ぬが、
私のDNAプログラムは、私の子どもがまた複製を作れば、永遠である。
私にとってはうれしくも悲しくもないけれど、そういうことになっている。
遺伝子DNAは利己的である。だから「利己的遺伝子」である。その意味は、
DNAは自己の複製を極大化するように行為する、そういうようにプログラム
されているということである。≫
▼ 30数年前になるが、犬のブリーダーが、生まれたばかり犬の子、7〜8匹の
 写真を見せてもらった時、それぞれの個性的な顔と姿を見た瞬間、「この子犬
たちは、以前存在した犬の遺伝子が、改めて、この世に現れ出てきた」と、
直感したことを憶えている。 もしかして、分霊の正体は遺伝子? たまたま、
自分とは、それに触媒の積み重ねでカタチつくられた存在に過ぎないのだ。
これを知っておくと、死に際の絶対孤独が和らぐのではなかろうか。同じか?

・・・・・・
5175,人生相談という気晴らし! 〜⑥
2015年05月16日(土)
           『人生、しょせん気晴らし』中島義道著
  * 老いた人の絶対的孤独との向き合い方は
 ここで、自分のしたいことを誠実に熱心に追及している限り、理解者は
出てくるというが、どうだろう? 今では、ブログなど、ネットで繋がることが
可能なので、ある程度の他者と繋がることが可能だが。
≪ Q: 〜年齢とともに肥大する孤独との向き合い方〜
 六十五歳の男性です。人間、歳を取るとだんだん孤独になるものだとつくづく
実感しています。若い頃は学才に恵まれていた男が、いつのまにか「俺は文化
なんてものには興味はねえ」と野卑な口調で本性をあらわしたり、デリカシーに
欠けていた男の品性がますますひどくなったり。さらには盟友が亡くなったり…。
そんなこんなで、私はこの七〜八年ほどの間に若い頃からの友人をあらかた
失くしてしまいました。孤独であることにもそれなりの味わいはありますが、
しかし、人生、いや歳を取るということは、かくも無漸なものなのでしょうか。
歳を取ることによって生じる、どうしようもない孤独にどう対応したらいいのか?
適切なるご教示をお願いします。
  A: 〜わずかでも心の通じ合える人がいれば絶対的孤独は避けられる〜
 私は「孤独」がそれほど嫌いではなく、「それなりの味わいがある」と思って
いますので、「どう対応したらいいか」に対する直接のお答えにはならないかも
しれません。あなたの問題にされているのは、主に「他人との関係」でしょう。
それにも二つあって、1つは、人間、歳を取ると「品性」がますますひどくなる
こと、そしてもう1つは、親しい他人や愛する他人が次第に自分より先に死んで
いって、だんだん心細くなること。前者については、私も同じ印象を持ってます。

[5]続きを読む

05月16日(火)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る