ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5855,閑話小題 〜 大相撲・今場所が面白い
フランス人の危機管理コンサルタントに
・「彼らはなぜ過激思想に走るのか」と聞いた時、彼の答えは明快だった。、
・「心に穴が開いているからです。ぽっかりとね」。ローランはシリアや
イラクに何度も渡航し、過激派に走る若者と接触してきた。さらに、
・「欧州経済はお先真っ暗で、若者は将来を描くことができない。自由だけを
与えられ、彼らは何をしていいか分からない。コーランは何をすべきか、何が
禁じられているかを明確に示してくれる。イスラム教を理解していなくても、
過激派仲間と一緒に戦反意識を分かち合うことに生きがいを感じるのです」。
 欧州に到来した百万人以上の難民は、相当長期にわたって難民キャンプ
で暮らさなければならない。難民申請が認められた後も、以前より敵対的な
キリスト教社会に溶け込むという障害が待ち受けている。彼らが、現在の
イスラム教移民社会よりもうまく融合できるという保証は、今のところ
どこにもない。〜 ≫
▼ 5億の人口に2千万人のイスラム難民とすると、日本に 五百万人の
 イスラム難民が存在することになる。考えただけでも、いや日本では、
考えられないことである。 中国人が観光ビザで入国して、そのまま滞在
している人が案外、多いのでは?いつの間にか、実は数十万も? は、
ないと思うがどうだろう? 砂漠の民用につくられたイスラム教徒が、
女・子供・奴隷などの弱者用につくられたキリスト教圏の欧州に、馴染める
わけがない。だから、目立たないように、生活圏を分けている。そこに、
当然、摩擦が起こり、その鬱憤が見えない戦争、テロになっていく。

・・・・・・
5125,洞窟の壁画 
2015年03月27日(金)
  * フランス、ラスコー洞窟の洞窟画
 8年前に購入した写真集、『世界のスピリチュアル・スポット』を
見ていたところ、「ラスコーの洞窟画」があった。以下は、そこに
書かれている説明文である。そこで、ネット検索をしたが、その規模の
大きさと、絵画の躍動感に改めて驚いた。面白半分の落書程度と思って
いたが、現代の画家も驚くほど、高度の技術を持った本格的な壁画・・
≪1940年、フランスのドルドーニュ県で、ヴェゼル渓谷の土手を探索して
いた4人の少年が迷子の犬を探していたときに木の下に穴があるのを見つけた。
そしてそれがきっかけとなり、地元の住人すら存在を知らなかった洞窟が
発見された。洞窟の中には約17.000年前、数世代にわたって創作された、馬、
野牛、鹿などの彩画、線刻画が保存されていた。はるか昔に衰退してしまった
文明で、ある特定の物事がなぜ行われたかを正確に知るのは困難である。
 だが、この洞窟が気軽な落書きの場でなかったことは明らかだった。
科学者で探検者でもあり、「先史学の父」と呼ばれたブルイユ神父は、道具や
ランプは散乱しているものの、人間が住んだ形跡がないことを指摘した。
この洞窟は何か特別な目的、おそらくは神聖な目的に限って使用された場所に
違いなかった。惰報が十分でないがゆえに、こうした場所がどういうかたちで
神聖だったのかについては、さまざまに議論を呼ぶものである。文書のかたち
でも口承ででも歴史が残されていないため、それぞれの主張を裏づけるものが
ないからだ。これらの壁画は狩猟の成果を表現したものと主張する説があれば、
猟の成功を祈願する共感呪術か、大地の「子宮」の内部で豊穣を願うシャー・
マンの儀式だったという主張もある。芸術的な内容から見るなら、壁画を描いた
人々の技術はそうした文脈を表現する上で大いに貢献した。彼らは洞窟内部の
凹凸を最大限に利用して多くの動物に立体感を与えることに成功し、なかには
高い天井を駆ける動物すらいた。画家たちの観察は正確である。彼らは対象を
熱知し、動きやカ、速さを表現することに多大な努力を払った。壁画は、
それを描いた人々にとって、単に目を楽しませるもの以上の重大な意味が
あった。これは、日常とは異なったレベルの意識領域に属す絵なのである。≫
▼「地下に長く伸びる洞窟は枝分かれし、壁画が集中している大空間などが幾つ

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03月27日(月)
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