ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5795,「自分」から自由になる沈黙入門 −3
四肢麻痺に関する研究によると、麻痺が生じた直後に大半の障害者が
自殺を考えるそうだが、一年後には10%だけが惨めな人生と考えているという。
残りの90%は、生きることの素晴らしさを考えているのである。苦しみを不幸
と解釈するのが心の在り方であるのと同様、それをどう理解するかを支配する
のも心である。世界観を管理、知覚、解釈する流儀をわずかに変化させるだけ
で、私たちの在り様が大きく変わるのである。移ろいやすい感情を経験する
仕方を変化させることが、気分と在り様を永久に変えることにつながる。
人間を悩まし続ける苦しみを消滅させることになるこの「治療法」は、
人間として生きるに最適な生気溢れる状態をもたらしてくれる。≫
▼ ネットで四肢麻痺を検索すると、
【いずれの場合にせよ,対麻痺では,上肢は健全なので,車椅子の使用により
日常生活を営むことがかなりの程度まで可能である。しかし,脊髄損傷が頸髄
に生じたり,末梢神経や筋肉の病気が下肢だけでなく上肢にも生ずるような
ことがあれば,上肢も下肢も運動麻痺を生じ,四肢麻痺となってしまう。
四肢麻痺は左右の上下肢がすべて運動麻痺に陥った状態であり,頸髄損傷による
ものでは,下肢の痙性対麻痺に上肢の弛緩性麻痺が加わって生ずるものである…】
とあった。この状態で、90%の人が生きることの素晴らしさを感じているとは!
四肢麻痺は、動物から植物(人間)へ移行するようなもの。その状態を瞑想と
内的変化で割切らざるを得ない結果、生きることの幸せに気づくののか?
急に盲目になったり、四肢麻痺になったとしたら、死にたって当然だが、
一年で90%の人が、これ以上ない絶望の淵から逆照射した諦めの心境が、
その事態を受入れる、強烈な力が湧き出るためである。
・・・・・・
5065,あわいの力 ーA
2015年01月26日(月)
ーあわいの力 「心の時代」の次を生きるー安田登(著)
* お能の世界とは
この本を読んで、長岡高校の講堂で『能』を観た時、その幽玄の世界に
魅入ったことを思い出した。以来、TVで何度か観たことがあったが、知って
いることは、シテと、ワキの存在ぐらい。 ネット辞書によると、
<芸能としての起源は、飛鳥〜奈良時代に遡る。観阿弥・世阿弥・金春禅竹
から現代まで約7百年。江戸幕府の終焉とともに衰退したが、明治中期に、
その状況を憂える文化人や資産家の尽力によって復興へ向かい始めた。
猿楽に代わる「能楽」という用語も広まった。 現在、ユネスコの
「人類の口承および無形遺産の傑作宣言」を受け、2001年「世界無形文化遺産」
として登録されて、少し演能が盛んになり、神社やお寺での薪能なども増えた
ように見受けられる。>とある。登場人物の役割を序文に簡潔に説明してある
≪・能には、シテとワキという二人の主要な登場人物がいます。
シテは面をつけ舞台で華やかに舞い、ダイナミックに飛んだり跳ねたりする。
能といわれて普通の人が思い浮かべるのは、このシテでしょう。
・ワキは、面をつけることもなければ、派手に立ち回ることもない。
装束も地味で、目立った活躍をすることもありません。
ほとんどの時間、舞台上でじっと座っている。
・シテを演じる役割の人をシテ方、ワキをの役割の人をワキ方といいます。
能の世界は、シテ方の人は一生シテを演じ、ワキ方の人生ワキを演じます。
能楽師の家に生まれた人は、生まれたときから決まりますが、私のように外の
世界から入ってきた者の場合は、その道が決まるのは、能の世界に入るとき。
シテの師匠に弟子入りしたら一生シテ方だし、ワキ方の師匠に弟子入りしたら
一生ワキ方です。ワキ方が、「今日はちょっと面をつけてみたいな」とたまに
シテ方を演じるようなことはありません。
・私は、高校教師をしていた25才の時、ワキを演じる師匠の姿に魅せられたのが
きっかけで弟子入りをして、ワキ方になりました。ですが、どうもこの
「ワキをわざわざ選ぶ」というのは、一般の人たちだけでなく、能の世界に
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01月26日(木)
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