ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5638,かわいい自分に旅させよ ー④
本とはそういうもの。だから、「本というのはもともと不便なもの」だと
北上はいう。 注目すべき発言である。ところが、現代は「不便」を嫌う。
効率や至便性を重んじて、極力「不便」を切り捨ててきた。
 その点、本は、いやでも読む場所を固定し、そこに自分の肉体を釘付けにし、
いくばくかの時間を費やさなければならない。「読む」という意志も必要だ。
「不便」なことこのうえない。「そこに便利なものを求めてしまったら、
ものの中身が変質してしまうという怖さがあるでしょう」 北上は非常に重要な
ことを、静かに主張している。なぜ、そんなに急ぐのか。なぜ、とりあえずの
結果や答えを求めようとするのか。仕事のことでは、大切なことかもしれない。
しかし、それは本の役目ではない。「あらすじ」だけ知って事足れりとした
のでは、その本と出会うチャンスを永遠に放棄してしまったことになる。
 本を読んでいる時間が惜しい? いや、ほんとうに惜しいのは、
読書の時間を失ってしまったことのほうだ。
『だれが「本」を殺すのか延長戦』で、デザイン評論家の柏木博と対談した
佐野は、こんなことを言っている。「幻想かもしれないけれど、僕は本という
ものは、時間の流れを一瞬で止めることができるメディアだと思うんです」
 われわれは否応なく時間によって動かされている。現代に生きる以上、
それから逃れることなどできない。画家のクレーは「人間という動物」を
「血でできた時計」と定義した。われわれはまるで、血という電池で動いて
いる時計、なんだと。 読書はそんな時間の流れに逆らう行為である。
視覚と脳を通して、読めない人にとりては記号や模様にしかすぎない文字を、
速やかに解読し、心と身体になじませていく。こうした奇跡のような行為は、
文字通り、時間を忘れて没頭しなければできない。天体の運行も、この地球上
のすべての時計の針も止め、ひとところにじつとして、ただ本のなかを流れる
時間だけに身を委ねる。そんな至福の時間を放棄して、「あらすじ」だけで
答えを求めて何になるというのだろうか。 〜p18・19 ≫
▼ 人間を、「血で出来た時計」とは、いい得て妙である。
 大学に入るまでは、試験勉強に追われ?面白いと思える純粋な読書習慣は、
あまりに少なかったが、20歳・30歳代は、一日、2〜3時間、40歳代は4時間、
50・60歳代は5時間は、読書に時間を当てていたが、ノートや手帳に記録する
習慣がなかったことが悔やまれる。 50歳半ばから、この随想日記に書き残して
きたが、それまで大学ノートに、せめて1〜2ページの読書録、備忘録を書いて
いたら、格段に豊かな知識の相乗効果があったはず。知識の蓄積の量と質は、
直ぐに露出するから怖い。 〜つづく
――――
2008年1月31日
「読書の腕前」ー�
 
面白そうなところを何箇所、書き写してみた。
なかなか含蓄のある読書論であり、何度も肯いてしまった。
 ーー
川面に多くの舟が漂っている、私たちはひとりひとりが違う舟に乗って
流されている。中には錨を下ろしている舟がある。
川の流れを時の流れ、舟を人生にたとえたらいいだろうか。そして、
本を読んでいる時間は、動かぬ舟の中で、川の流れを感じるようなものだ。
川は永遠に流れていく。水がある限り、流れることをやめようとしない。
そんな悠久の流れを、ひととき止めたりを舟の中で感じる。
本を読むということは、そういうものだと思っている。
 ―ー
寝床で読む、喫茶店で読む、電車で読む、バスで読む、食事中に読む、
トイレで読む、風呂で読む、眼が覚めている間中ずっと読む。
 ーー
 飯島耕一が
「何もつよい興味をもたないことは /不幸なことだ /ただ自らの内部を /
目を閉じてのぞきこんでいる。/ 何にも興味をもたなかったきみが / 
ある日/ ゴヤ のファーストネームが知りたくて/隣の部屋まで駈けていた。」
「生きるとは / ゴヤ のファーストネームを/ 知りたいと思うことだ」
 ーー
読書に費やしたこれまでの膨大な時間を、もっと別の有意義なものに

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08月22日(月)
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