ID:54909
堀井On-Line
by horii86
[383029hit]

■5554,閑話小題 〜父親の43周期に
いかに素晴らしいことか」を思い知った。亡くなる直前に、『良い人生だった。
全く同じ人生を、もう一度生れ変って生きたい!』と母親に話したという。
考えつくした上での人生賛歌の総括をしたのである。 で、死に際の苦痛は例外
なく悲惨そのものだった。私のような大酒飲みは、リンゲルの効きが悪いそうな。
晩酌に缶ビール5本飲んでいた友人が先年、亡くなったが、それは酷かったとか。
                           さて、墓参りだ! 
  * 久々のジョーク
・「おい、見てみろ、日本の総理大臣が共食いしてるぞ!」
 「はぁ? 中国人じゃあるまいし、何を食ってるんだ?」
 「アメリカンドッグさ。」
・なぜ手術室から逃げたのか、お話しいただけますか? 
 病院の理事が患者に尋ねた。 なぜって、看護婦が
『大丈夫、盲腸の手術はとても簡単なのよ!』って言い聞かせたんです。
 それで… 「彼女はね、それを先生に向かって言ってたんですよ!!」
・・・・・・
4824,閑話小題 ー今日は、父親の41周期
2014年05月30日(金)
    * 今日は父親の41周期
 5月30日は父親の命日で、毎年、ここで思い出を書いてきたが、年々、
似ていることを繰返し偲ぶことになる。歳を重ねるほどに、父親に顔も性格も、
ますます似てきているが、父親を知る人は、もう周囲には殆ど居ない。 
人生を振返ると、父親の大きな影響の中で生きてきたことが思いやられる。
その父の亡くなった年齢に、あと二年でなる。 三年前の会社整理もあって、
父親を乗越えることが出来なったが、私にとって、父の視線が、常について
まわっていた。内語で、大事な決断時に「オヤジ、どうしよう」の自問自答を
繰り返していた。その内なる対話が、知恵の原泉である。父親が42歳時の末っ子
のため、溺愛に近い状態で育ってきた。 この温もりが心の奥にあればこそ、
多くの難関を乗り越えることが出来たようだ。いざとなると、折れてしまう人は、
両親の温もりが少ない人が多いようだ。 親の温もりが、その人の温もりになり、
それが、生きていく大きな力になる。良い時代に、良い両親に、良い人に
恵まれたことが、私の大きな財産になっている。特に、父親の愛情と恩恵は、
何ものにも代えがたい。
  * 内省の日々
 数日前から、ー「事業人生を決心して45年」の語り直しーのテーマで
書き出しているが、ここで気づいたことは、これは内省そのものということ。
それをそのまま公開するとは、自分は何だろうと疑問がわいている。 
父の命日の想いも、内省になる。いま現在、命日の朝4時、父の魂と自分が向い
合っていると、背後の数メートルから、「なんてザマだ!」と、一喝されて
いるよう。父親が私にもとめたのは、「人生、社会の規制にとらわれず、事業も
趣味も最大限に生きろ!」ということ。 しかし、この程度しか生きることが
できなかった反省と、後悔がある。酒癖の悪さで、多くのチャンスを自ら潰し、
世界を小さくしてきた自分を省みることも、内省である。 それからみて、
この結果が私にとって‘ベスト’では? と・・ これは自己鎮撫になるか。
来し方を振返ると、何とも浅ましい己の姿が浮かび上がってくる。
このような人生を自嘲した歌謡曲があったが・・ 老いていくと、真面目に
なりざるを得ない。その視点で、過去を後悔するのは、所詮は老人性欝症の
なせる業ではと、内なる声もするが・・さて、これをアップして、
父親の墓参りに行くことにするが、この随日も、私の法事になる。
・・・・・・
4457, 今日は父親の命日 ー40周年
2013年05月30日(木)
 今日は父親の命日、亡くなって40年になる。ここで毎年のように父の思い出を
書いてきたが、父も本望だろう。私も父の亡くなった71歳に、あと3年半で到達、
目先の目標に近づいてきた。私の早寝早起は、父親の生活習慣を見習ったこと。
亡くなった当時は高度成長期真っ只中に、石油ショックが起きて日本中が青く
なっていた。それから日本も世界も動乱が続いた。私にとって父の死と、半年後

[5]続きを読む

05月30日(月)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る