ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5552,閑話小題 〜反省すれども、後悔せず
のでしょうが、それは馬鹿げています。大火事なんですから、消火活動なんて
やっていたら焼け死んでしまうじゃありませんか。せっかく『法華経』がいい
ことを教えてくれているのですから、それに従いましょうよ。問題は「自灯明」
です。お釈迦さまは、自分自身を灯明にしなさいと教えられたのです。これは、
自分に自信を持って歩めという意味だとも取れます。しかし、それよりも
「世間の奴隷になってはいけない」と解釈したほうがはっきりとします。
わたしたちはあまりにも世間のことを気にしすぎるきらいがあります。
世間の人の平均や流行に常にとらわれていて、自分が世間でどう評価されている
かが気になって仕方がない。でも、世間なんていい加減なものだということは、
さきほど述べた通りです。「世間の奴隷になっていては、自分というものを
失ってしまうよ」とお釈迦さまはおっしゃりたかったのではないでしょうか。
人間は、つい「生きがいとは何か」「どうすれば幸せになれるのか」と自問
自答しながら暮らしてしまいます。でも、そうしたことを考えること自体、
世間の奴隷になっている証拠です。「幸せ」「生きがい」を求めるのは、
自分で手枷足枷をはめて、進んで奴隷の列に加わるようなものです。
つまらない常識にとらわれることなく、生きたいように生きたらいいんです。
勝ち組になったとか負け組になったというのは、単に世間の物差しで測った
結果に過ぎません。・・・ ≫
▼ TVのコマーシャルや、番組の根にあるのは、コンプレックスの刺激が、
隠されている。健康食品、美容品、ファッション用品など、『世間では、
こういうのが流行しています。これを使って、カバーしましょう』と!
その手段として、最近ではタブレットPCや、スマートフォンが普及した
ため、逆に世間が、狭くなって、個々への締付けが日々、強くなっている。
世間虚仮も必要だが、その過剰は、世間体コスプレになってしまう。
・・・・・・
4822,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー4
2014年05月28日(水)
* 産能大学に編入
⑥ ジャスコを辞めるについて、その身勝手さに非常に厳しい(精神的)
リンチ? 実家に帰った時には首はガチガチで、半病人状態。当然だろう・・
それをみた両親が、四国旅行に連れ出してくれた。親は有難いもので、後先、
両親三人と旅行をしたのは、最初で最後の経験。 坂出でみた瀬戸内海の夕景は
今でも心に焼きついている。その時の印象と心情をメモ帳に書いたが、ホテルの
部屋に忘れてきた。それを見た若い?女性が、感想を書き添えて送り返してくれた
ことが思い出されてきた。 心が傷ついていた反面、それが夕景に共鳴できる
下地になっていた。
⑦ その後、千葉の姉の家から東京の自由が丘にある産能大に通うことになる。
それまでの激務と、今度は何の束縛のない自由の中で、自分で自分を律する日々。
人間は独りでは生きられないが、まず独りになって自分を律する必要がある。
独りになるとは、考えるための第一歩。それが分からないと、集団に埋もれ、
何も考えないで一生を終えてしまう。20歳前半に、その両極端な二年を経験は、
私にとって大きな行蔵になっていた。この一年間は、過っての学生時代の
4年間を凝縮し、学び直すことにもなった。計算外の危機になった精神を
立て直すに、混乱した脳奥から湧き出てくる思いを紙に書き出し、整理する
ことが第一歩になった。50歳半ばから13年間、こ随想日記を書き続けてきた
ベースは、この一年間の独りでの心の血を掬いがあればこそ。文章に変換する
しかなかったお陰である。書かなければ、狂ってしまうから、書くしかなかった
のである。フィールドワーク(現場)の現象の中に隠れている道理を、言語化
する、当時の発想法のKJ法など、情報のカード化に関する書籍を読み、
実行する日々になっていた。経済社会をフィールドワークと見倣し、現象を
大きく分類し、科学するのに、この一年間は、有効に働いた。
⑧ しかし、千葉郊外の「千城台商業用地の売出しの広告記事」を見たことが、
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05月28日(土)
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