ID:54909
堀井On-Line
by horii86
[383244hit]

■5537,閑話小題 〜閑なるままに・・
あえて続けますと、「人生に意味があ るか?」という問いに対して真摯な答えを
与えるのは、とにかく難しい。それは,こう問う多くの人が、人生に意味がない
はずがない、だから何でもいいから都合よく納得できる「意味」を提示して
ほしい、と願っているからです(あなたもその一人?)。モームは哲学者ではない
のですが、多分この問題を一番考え抜いた哲学者は「ニーチェ」でしょう。
 彼は、キリスト教の教えはすべて嘘であり、坊主たちがグルになって二千年間
われわれを騙してきたとみなしました。この世で報われなかった人があの世で
報われるわけでもなく、この世の幸不幸は永遠に清算(最後の審判)されない。
高速道路で飲酒運転のトラックに追突され幼児が焼き殺されたのも、電車が脱線
してビルに激突し、ぐちゃぐちゃになった車体の中で多くの乗客が死んだのも、
その人たちがただ「そこにいた」からです。こうしたとき、われわれは「なぜ、
罪もない幼児が? なぜ、親孝行の息子が?」と問います。古来人々はこう問い、
「われわれには測りしれない目的によって、神が災いを意志したのだ」と解釈
して、心を慰めてきましたが、ニーチェはきっぱりこれを否定する。すべては
ただそうなっただけ。その奥に隠された意味(意志)などまったくないのです。
彼はこの真理を伝えるのに全人生をかけ、ついに発狂しました。人生に何の
意味もないことを全身全霊で実感するのは、それほどきついことなのです。
あなたも、そんなに「人生の意味」を知りたいのなら、あと統計的に死ぬまで
十年ちょっとあるのですから、残りの人生、それを探究することに費やして
みてはいかがでしょうか? それが厭なら、謙虚にただ「わからない」と
眩いて死ぬことをお勧めします。 ・・・≫
▼ 中島の面目躍如の内容である。この20の人生相談の回答に、ことごとく
 私自身の曖昧さが指摘されているようでもある。それと私が忌み嫌っている
我が内なる世間びとへの批判に徹してようである。それだけ、世間という共同
幻想は、人々を縛りつけている。欧米では、その共同幻想がアッラ〜の神。
その名のもとで、互いが殺戮を行っている。ところで、『人生の意味』の意味
を価値に置換えると糸口が見えてくる。 人生に価値がありや、なしや? と。
・・・・・・
4807,閑話小題 ーボケの始まり?
2014年05月13日(火)
   * ボケか?
 先週の土曜日、親戚の法事で駅まで歩いた後、タクシーに乗って寺まで
行ったが、誰もいない。そこで住職の自宅玄関で聞いたところ、翌日の間違い。
その前日、もしかと思い、案内を見直して日曜日と確認したが、その勘違いを
確認したことも忘れてしまっていた。 こういうのが呆けの初期症状? 
家内に厳しい冗談?で、「施設に入れなくては!」と、馬鹿にされ
「他人に言わない方が良いよ」とまで、言われる始末。 それにしても、
ハガキを見直しても、間違えてしまう迂闊さに、我ながら信じられない思い。
帰り道、履き慣れない靴のため靴擦れの脚を引きずりながら、反省のため
30分の道のりを歩いて帰ってきた。 休憩のため駅東のマックに入って
ハンバーガーを食べたが、それが何ともいえない味。緊張感欠如だろうが、
後々考えたとき、これが、ボケの始まりだった、でなければよいが。
   * カラオケは、森の生活だからこそ?
 スナックに行っても、カラオケをほとんど歌わなくなった。
店内に客が連れと二人だけでも、歌う気がしないのである。やはり仕事の
憂さとか、張り合いの中でこそ、歌に張りも気持ちが入るというもの。
ゴルフはやらないが、現役時代のプレーが、定年後より遥かに面白いとか。 
年齢もあるが、秘境ツアーも以前ほど行きたいと思わない。これも、仕事の
合間に何とか都合をつけて、浮世のストレスを秘境旅行のストレスで消す
からこそ張り合いがある。 今は今の楽しみがあるのだから、
それは、それで良いとしなくては。
   * カラスの糞かけ
 またまた偶然の一致だが、法事から帰ってきた玄関で、カラスの糞が、

[5]続きを読む

05月13日(金)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る