ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■若者よ、外に出よ! ーB 〜学生生活は人生の砂場遊び
その寮は一緒に生活をしている事もあってか、とにかく癖が強い人間が多かった。
私生活がお互い丸見え、どうしてもアラが見えてしまう、と同時にサル山と同じ
勢力争いがあって結構それが面白かった。ホモあり、女狂い有り、哲学専攻で
いつも一人ニヤニヤぶつぶつ言っている先輩あり。真面目のいやみな先輩あり、
学生運動の闘士有り、今考えてみてもかなりおもしろい寮であった。
学生時代はこの寮と武澤ゼミと欧州旅行とクラブを除いては考えられないが、
いい経験をした寮であった。私の大学の友人の間でも、この寮の存在―
特に汚い馬小屋風の寮で珍しがられていた。 父がこの寮に卒業の八ヵ月
前にきて、翌月から仕送りを二倍に上げてくれた事で、いかに凄いか
想像出来るのでは。 2001/05/24
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2010年09月02日(木)
* 初めての21歳の欧州旅行 ー3
初回の欧州旅行で、帰国して半年間は自失呆然状態であった。
自分の心が粉々に粉砕されてしまったようだ。カルチャーショックである。
今から思うと、これが良かった。両親から受け継がれていた小さな世界の
価値観が根こそぎ壊れたのである。それと「自分は東洋の小さな島国・日本の
黄色人種」という目線を得たことである。これをキッカケとして、根こそぎ
自分を変えなければ学生時代の4年の自由時間を与えられた価値がないと気づく。
それと社会、世界は、不平等で格差であること。世界には豊かな人種と国家が
あり、反対に貧しい人種と国家が満ちている。その中で生きていく自分を作る
基礎を学生時代に培わなければと、気づいたのである。とにかく世界は広く、
深い一端をみた。 話は戻るが、ロマンチック街道から見た、川添に展開する
お城と、景色。それと、早朝にスイスに霧の中から見えたレマン湖とスイスの
渓谷の美しさに言葉を失ったことを思い出す。 毎日にように、これまで、
想像すらできない光景を、これでもか、これでもかと見せられるのだから・・
当時、中高年の人で、あまりのカルチャーショックで精神の異常をきたす人が
多いと聞いた。現在のように、写真に、テレビの旅番組に、ニュースに、
映画の背景として過剰に入ってくる時代ではない。私のように、中高校の白黒
の小さな写真でしか見たことがないものを、次から次へと見れば、感動の蓄積で、
脳が変になって当然である。 幕末の獅子たちで、当時、欧米渡航経験があるか
ないかで、動乱の中で大きく、その後を左右したというが、当時の彼らは欧米
の社会を驚愕の目で見てきて近代国家の絵図を描いたのである。
時代も、スケールも、全く違うが、それでも21歳での経験として、
大きな財産になっている。
――――
2002/12/05
ある時間の断片-15
1968年10月5日 土曜日
昨夜飲み過ぎせいか頭が痛い。
10時に深井に電話をするが、アユに用とかでお流れ。
集団デートお流れ。小作の方にしておけばよかった。
その後、酒井君が部屋にきて疎外論から人間関係論について
話し合う。かなり哲学づいているようだ。
深井が寮の部屋にくる。車を持っていると行動範囲が広い。
新橋の深井の自宅に行く。親父に紹介される。
40店舗を持っている新橋しのだ寿司の社長だ。
私に興味があるみたいであった。
食事をした後、彼と東名高速で横浜・板付へドライブをする。
あまり面白くなかった。
帰寮後、ボクシングの世界戦をみる。
小林が一方的に勝つ、つまらない試合であった。
その後食事に行く。
TVを見ていると市川さんが飲みに誘いにくる。
寮の近くの「三浦」という行きつけのスナックへ行く。
帰寮の後夜半の2時に寝る。
明日からは本格的に卒論に集中しなくては。
・・・・・・
2002年11月08日(金)
574, つれづれに-学生時代のこと
学生時代の最後の半年間の日記を「ある時間の断片」
という題で書き写している。そのときは34年の時空を飛び越えて
青春真っ只中の自分に立ち返っている。
記憶もそのときのことが走馬灯のように立ち返ってくる。
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04月30日(土)
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