ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5525,若者よ、外に出よ! 〜C イスラエル・聖
文化.文明面の異郷といえは、インドとイスラエルである。それも青年期では、
カルチャーショックは大きいはず。旧約、新約聖書の物語の現場が、そのまま
存在する。現在でも、聖書の内容どおりの新しい発掘があるという。ギリシャと、
イスラエルは欧米社会の原点。旅先の飛行機で隣合せた旅行代理店の社長が、
『とにかくイスラエルが素晴らしい。「山上の垂訓」や、「イエスが十字架を
担いで歩いたゴルゴダの丘と、その道」」や、「生誕の馬小屋」や、処刑の後に、
身体を洗い流した岩」に、次々に辿ることができる。それと、イスラエル兵と、
アラブ人が、エルサレムの街中で一触即発の緊張した空気も知った方がいい。』
と。そして勧めどおり、行ってみたが、その言葉以上の感動の連続であった。
私自身、大きな挫折を経験するたびに、聖書と、聖書関連の本で、何度も
魂を救われたことがったことも、その感動は振幅させてくれた。
〜以下は、17年前に書残した文章である。
* イスラエル。聖なる旅(H11・05) よく行ってきたもの。
≪ この旅行は、四千年の旧約・新約聖書に出てくる歴史と出会う旅である。
四国の面積とほぼ同じ中に、数えきれないほどのドラマがあった。
現地の日本人ガイドのシャワ−のような説明が新鮮かつ面白く驚きと感激の
連続であった。その為、帰ってきて、新約・旧約聖書をじっくり読む事が
できた事が最大の成果となった。関連を含めると十冊を前後二ヶ月たらずで
読んでいた。 考えてみたら私の人生の転機の度に必ず聖書か聖書関連の本
との出会いがあった。人生のより早い段階で、じっくり読むべきであった!。
旧約は先入観で固く難しそうであったが、読んでみれば何もむずかしくない、
ただただ面白い!内容である。旧約はユダヤとユダヤ民族の歴史の書であった。
また新約は出会い=イエスの心との出会いの書と言ってよかった。
ー印象の強い順に列記してみるとー
・まずは何といってもエレサレムである。イスラエルがそのまま凝縮されている
といってよい。四千年の昔から神の名と民族の誇りをかけ、数え切れない戦い
の舞台となった。そして現在も続いている。この街を歩く事は世界の歴史の
生き証人と出会い同行することかもしれない。
イエスが十字架を背負って歩いた悲しみの道=ヴィア・ドロロ−サ。
磔刑に処せられたゴルゴダの丘。最後の晩餐の部屋。
イスラム教の重要な寺院=岩のド−ムとアクサ寺院。
ユダヤ教徒にとって最も貴い嘆きの壁と広場、そしてダビデの塔。
旧市街を囲んでいる城壁は四千年の歴史の深さをそのまま物語っている。
・次はモ−ゼの十戒で有名なシナイ半島のシナイ山である。
深夜の二時に三時間かけて登って山頂からのご来光とシナイ山の山並み。
その麓にあるカタリ−ナ修道院と、神の声をきいたという“燃える柴”。
そして帰路にたちよったベトウィンの部落。そして、そこで飲んだ紅茶。 ・
“マサダの要塞”=この旅行までは全く知らなかったが、
キリストが死んだ四十年余り後に、ロ−マ軍に追いつめられた熱心党員の
ユダヤ人九六七名がたてこもった自然要塞。
陥落の前日、そこの指揮者ベン・ヤイルの演説の後、七名を除く九六〇人の
集団自決のあった場所であった。その時の詳しい内容が生き残った者の証言
で残った(ヨセフスの“ユダヤ戦記”に生々しく残っている)。
=「奴隷にされる前に...自由の状態におもむこうではないか。」
=自殺を厳禁しているユダヤ教徒の集団自決であるからその意味が違ってくる。
・イエスの生まれたベツレヘムの岩のほら穴の馬小屋と岩の飼葉桶。
・ユダヤ教エッセネ派の“死海写本”が発見されたクムラン洞穴。1947年、
近くを歩いていたベトウィンの少年が、洞穴で土器に入った巻物を発見。
壷に納められた六〇〇を越える巻物には、イザヤ書全巻や旧約聖書等々が
記されていた。今世紀最大の発見といわれている。ここで他にとんでもない事
が記された文書があった。−イエスキリストが主張された大すじが、その
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05月01日(日)
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