ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5488、閑話小題 〜人間の尊厳とは
「人間にとって、その人生は作品である」これは司馬遼太郎の言葉である。
「人間には志がある。その志の味が、人間の味である」という言葉もある。
身近で亡くなった両親の生き様を見てきてつくづくと、人生は作品という
ことが理解できる。そして生きている限りは未完であるところが、ミソ。
死んだ時に完成するが、その時は自分にとって関係ないことになるから絶妙。
哲学では人生を「劇場」に喩え、その役割配置から、その真理を突き詰めていく。
それぞれが人生劇場では主役。 それは第三者が口挟むことでない。
本人の意志に従う物語。従って還暦を迎える頃になると、その物語の辻褄
合わせが始る。シナリオ、主演が自分であり、観客の一人も自分。
だから面白いのであり、悲しくもある。 自分で悲劇の場面と思っても第三者
の目からみれば喜劇に思える。(逆も言える)
年齢を重ねて分別がついてきて、人生を振り返ると顔から火が出ること度々。
主役は次から次へと襲ってくる難問を乗り越えるのが役割。 難問そのものの
内容が物語を決めることになる。だから、問題に対して嘆いてはならない。
(自分の火種もあるが)問題と本人の意志が自分の人生の作品を決定する。
キュープラー・ロスは<人生劇場は「レッスン=学び」であると看破>
(以下、字数制限のためカット 2015年3月25日)
・・・・・・
5123,「魂」の思想史 ー③
2015年03月25日(水)
〜「魂」の思想史: 近代の異端者とともに ー酒井健 (著)
* ソクラテスを魅惑する魂
ソクラテスといえば、「魂の鍛錬」「対話術」「無知の知」がキーワード。
魂とは「神的でダイモン的な何か」として、その鍛錬を説く。〜その辺りから〜
≪(p17) ソクラテス自身に最も人知の限界を意識させたのは、ほかならぬ
彼の内部から立ち上がってくる声。いくら知ろうと思っても認識できない。
声といっても、明確に言葉を発するわけでなく、いつ心のなかに発生するかも
分からない正体不明の存在です。自分のなかに棲む謎の他者。分からないまま
現れて自分を翻弄する何ものか。この声は自分を毒したと正義のソクラテスは
強弁していますが、はたしてそうだったのでしょうか。
この声が国事への公的参加をソクラテスに拒ませたのはたしかに正しかった
と思われます。しかし彼が公的な場にいようと、私的な活動の場にいようと、
あの「神的でダイモン的な何か」は曖昧な動きを呈します。しっかり動かない
既存の制度、慣習、信仰とは反りのあわない暖昧な動きです。そして彼の意識
の底で果ての知れない広がりを呈しています。大きな魂と呼んでもいいでしょう。
彼の「無知の知」の教説、彼の正義、心、そして自分自身のものと彼が考えて
いた魂は、この大きな魂と表裏一体になっていて、しかもその底から、大きな
魂を定かには見えないかたちで溢れ出るにまかせていたと思えてくるのです。
そのことは、はたしてソクラテスにとってよいことだったのでしょうか。
無知を人に悟らせるのは間違ったことではありません。立派な正義です。
しかしソクラテスの言動は正論であると同時に正論を超える何かを放っていた。
彼を死なせるほどにです。公開裁判で、彼は、五百一人の民衆裁判官に対し、
まるで自分を有罪へ、そして死刑へ、煽り立てるように挑発的正論をぶった。≫
▼ ネット検索に(ソクラテス ダイモン)と入力すると、
<ソクラテスは、自然に際して合理的思考を、対話・議論には論理性を重視
するが、その一方で内面にダイモンという神霊の声を聞いて茫然自失の態に陥る
ことが多かったと言われます。ダイモンは『善なる神霊あるいは悪なる神霊』
とされますが、その実態は詳らかではなく、ソクラテスの意識に突如飛来する
神秘的現象であり、ソクラテス自身には『内なる道徳律を示す声』のような
認識が為されていたようで、自らが道徳律に反する悪しき行為を為そうとする
時に『それを為すべからず』といった形でダイモンの合図がやってきた。
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03月25日(金)
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