ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5464, 『中村ウサギー他者という病』 ー2
遭ったりするたびに、私は自分が常に男から性的な視線で見られており、
しかも彼らは私の意思とは関係なくその欲望のはけ口として私の身体を使う
つもりなのだと感じた。それはまるで自分が人間ではなく物のように扱われて
いるかのような屈辱感と、彼らに力ずくで欲望の餌食にされるのではないか
という恐怖感を、私にもたらしたのだった。
が、その不快さの一方で、私は男たちに求められることにナルシスティックな
快感を覚えることもあった。年を取って男たちに相手にされなくなってくると、
自分の価値が暴落したような気分になっ、た。それは決して私の「人間的価値」
の暴落ではなく、あくまで「性的価値」の問題に過ぎないこともわかっていたが、
しかし女の場合、「性的価値」は「商品価値」と密接に結びついているため、
まるで自分が価値のない商品に成り下がったかのような悲哀を味わったのだ。
男たちに「性的道具」のような「物」扱いされることに怒りを感じながらも、
自分の価値を「商品価値」と捉えて「物」扱いしてしまう… その矛盾が、
理屈で解消されるものならまだしも、生理的な「快・不快」感と結びついて
いるため、よけいに始末に負えない。どんなに理性が「こんなものは根拠薄弱
で非論理的な感情だ」と結論づけたところで、やっぱり心は傷ついてしまうのだ。
それが人間というものではないか。
私はこの「女」という生き物の自意識のねじれと矛盾を、自分の体験や感覚
を通して言語化しようとしてきた。私を、そして女を、「言葉」で再構築し、
人々に届けたいと願ったのだ。そのためならデリヘルでも何でもやった。
それがどれだけ世間から白い目で見られるかも承知していたが、それでも
「知りたい」「言語化したい」という欲求のほうが遥かに強かったのだ。
世の中の「自分がわからない」と嘆く女たちに、「女がわからない」と
ぼやく男たちに、私は自分の言葉を届けたかった。
諸君、我々は「主観」という濫の中から抜け出せず、互いに他者を理解し得ない
まま、閉鎖的な脳内世界の中で孤独に、生きている。だが、その隔絶された
各々の世界を繋ぐのが「言葉」なのである。だから私は「言葉」を諦めない。
それが私と他者を繋ぐ唯一の絆なのだから。 ≫
▼ 抜粋の文章をカットしようと上記を読み直すと、それが辛い。言葉に魂が
乗り移っているためである。ここまで書ければ、本望だろうが、それだけ傷が
深いのである。「言葉」に魂が乗り移ったのを「言霊」というが、成る程!
・・・・・・
哲学について
2015/09/11
「うさぎちゃん」が、心肺停止になって考えたこと! ーH
ー私は「言葉」を諦めないー(新潮45/5月号)
〜心肺停止になって考えたこと! 中村うさぎ
* 自分とはいったい何者なのか?
世間を馬鹿にしているところが、いやに同調できる。『閑』という字が
ある。門の中に木がある状態、その木を己とすると、『独』の状態。
それを自分の中で守ってこそ、自分と他者との分別が可能になる。それが、
出来てない、他人志向的傾向の強い人たちを世間様と定義つけている。
大方八割?の、世間にまみれた人たちに揉まれ、そこで、己とは何者なのか
を自覚するのは、並大抵でない。世間を見下しながら、そこに依存をするしか
ない己の心情を、以下で明晰に表現している。 〜その辺りから抜粋
≪ 自分もまた俗世間を馬鹿にしており、誰よりも高みにいる気でいたわけだ。
なのに、そんな自分が世間から排除されたことにこれほどまでに傷つくとは!
私のこれまでの世間への侮蔑は単なるポーズに過ぎなかったのか? それとも、
私が世間を拒絶するのはいいが、世間が私を拒絶するのは許せない、と、
そういう理屈なのであろうか?
おそらく、そういうことなのだろう。 私のとどまるところを知らぬ
ナルシシズムは、自分を高い高い場所に押し上げ、超然と世間を見下ろして
いるつもりだった。なのに、その下々の世間から「おまえなんかいらない」
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03月01日(火)
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