ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5442,閑話小題 ー年収7百万を超えると、幸福度が下がる
《 私はいつも男であることを嫌悪してきた。男らしさに対するアメリカでの
全般的な考え方は、憐れむべきもので、一生涯のあいだ寸法の合わない上着
を着ていなければならないことに、似ている。(対照的に、女性らしさとは裸身
を意識する耐えがたい抑圧感ではないかと私は想像している)。「男らしくしろ」
という言い方にしても、侮辱的で、人を罵倒するような感じを受ける。
その意味は、ばかになれ、非情になれ、従順で軍人のようになれ、頭を使うな、
といったことなのである。ーポール・セルー「男神話」エッセイ「男神話」
のなかでセルーがこだわっているのは、アメリカ社会の中で「男らしさ」
の追求がいかに男たちに抑圧的な役割を強いるものであるかという点である。
何しろアメリカの元大統領の例に示されるように、週末の休暇にカウボーイの
格好をしてみせて、常に強い男の演出をしなければ自らの政治生命に支障を
きたす社会なのだ。物を書くという仕事に関しても、男らしい職業と言い難いが
故に、アメリカ作家の多くは自らの「男」を証明するために、大酒飲みである
ことを自慢したり、金銭的成功をめざしたり(富は男らしさの象徴)、ヘミング
ウェイのようにライオン狩りをしたり、といったように、これまで「血のにじむ
ような努力を重ねてきた」のだ。ついにはセルーが「男であることは、特権的で
あるどころか、むしろ無慈悲で懲罰的、重荷である」と嘆くまでに至るを聞けば、
もう他人ごとに思えず、意気消沈する男たちも少なからずいるにちがいない。》
▼ 「男は男らしく、女は女らしく」は疑問の余地がないはずと信じてきた。
しかし振り返ると、実際に男らしかっただろうか?どうだろう?「男神話」を
信じて、男らしくあろうと必死だった姿が、滑稽で可笑しく、漫画的に思えるは、
熟女?が、よい年をして、「女神話」に乗せられ、高価の化粧品を買って、
必死に化粧台に向かっている滑稽さと同じ。昨日も、ハリウッド映画をみてきたが、
「男神話」そのもの。いま問題になっている「現代のベートベン」も、その虚像
を演じた男の終末劇である。そういう私も、「男神話」を信じて疑わなかった一人。
信じて演じているが、コスプレ? その視点で世の中を見ると、全てコスプレ?
そうみれば、逆にコスプレを楽しんだ方が面白い?「男」をコスプレしてきた?
・・・・・
4346, 暴力団 ー2
2013年02月08日(金)
「暴力団 」溝口 敦 (著)
世界で不法集団が街の真ん中に堂々と事務所を開いているのは日本だけ。
それを一般国民も認めているから最後進国並み。
10数年前になるが、個人経営の居酒屋に営業時間、堂々と組員が営業をする
のだから驚いた。それも暴対法が出来てからは、無くなったようだ。
悪しき民主主義が、こういう人たちの権利も擁護をしていることも事実。
ーアマゾンのレビュー(感想)にあった次の要約は、分かりやすいー
≪・序盤には、日本の暴力団の概略とその活動内容について書かれています。
シノギについても、いろんなシノギがそれぞれどういう活動で、どういう
歴史を持ち、どういう風に行われていて、時勢にはどういう傾向が有るのか、
どれくらいの収益を上げているのかが、具体的に書かれています。
また、暴力団だけではなく、隣接する業界(風俗や解体、産廃業界等)が
どういうふうに関わっているのか(たとえば、ソープやパチンコホール等の
暴力団へのみかじめ料の基準)などが書かれている。
・中盤では、暴力団員的気質や構成員間の人間関係、刺青の意味・種類や入れる
動機、アメリカやイタリア、チャイナやタイワンのマフィア、香港の三合会、
などとの比較を通じて、暴力団とカタギの社会とのかかわりについても言及
してあります。また、暴対法や暴排条例をはじめ、警察や行政組織、刑事法
とのかかわり(ウィークポイント)について言及してあります。
・終盤では、従来の暴力団という性格の組織は維持できなくなりつつあること、
また、それと関連して統制されなくなったアウトローが暴力団にかわる勢力
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02月08日(月)
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