ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5392,自分史の書き方  ー④
         『読書脳 ーぼくの深読み300冊の記録 』立花 隆 (著)
   * 悪魔憑き 〜ミシェル・ド・セルトー著『ルーダンの愚依』 
 映画で幾つか悪魔憑きの場面を見たが、実際に、具体的事実?
を読むのは初めて。 ー以下は、実際にあった内容?ーだから、驚きである。
≪ ミシェル・ド・セルトーの『ルーダンの愚依』がはじめて全訳された。
「ルーダンの慰依」は、十七世紀フランスの田舎町の女子修道院で起きた、
歴史上最も有名な集団的悪魔憑き事件。十七人の修道女からなるウルスラ会
修道院に、数週間前に亡くなった告解師の亡霊があらわれた。霊はしばらく
修道女のベッドの脇で泣いた。 別の亡霊が次の日真っ黒な球のかたちで
修道院の食堂にあらわれ、二人の修道女を乱暴に地面に押し倒し、肩に乗った。
やがて修道女たちの肉体と精神に奇妙な変調があらわれ、次々に判断力を失い、
全身がすさまじい痙攣に襲われた。教会の上層部は動転し、調査をした結果、
この事件の犯人は悪魔だと判断した。「悪魔祓い」が専門僧の手で行われた。
 悪魔に名を名乗れと命じると、「神の敵」という。悪魔にとりわけ狂った
院長の体から出るよう命じると、院長は暴れ回り、吼え、歯をきしらせ、
奥歯が二本抜けた。悪魔と問答を続けているうち、悪魔を彼女の体に
入れたのは、ユルバン・グランディエという別の教会の司祭であると判明。
「彼女たちは叫び、グフンディエを探そうとして、修道院の屋根に駆け上り、
また肌着だけで木のうえに、それも枝の先までよじ登ったのです。
そこで恐ろしい叫び声を上げながら、風や雨に耐え、何も食べずに4〜5日も
留まっていた」。この悪魔憑き事件は、たちまちヨーロッパ中に知れわたり、
ルーダンの街に何千人もの野次馬が押しかけた(修道女が教会の尖塔に上り
宙を飛ぶなどのウワサが広まった)。野次馬は何日も泊りカけで狂える
修道女を見物した。修道女は吼え叫び、土の上でころげまわり、足や手を
絡み合わせ、足の裏をくっつき合わせたりした。卑猥なようすで舌を出し、
つばを吐き、冒涜的な言葉を吐きちらかした。・・
 修道女たちとグランディエとの対決が行われ、グランディエが否認しても、
彼が悪魔に使われている証拠が次々に出てきた。六人の悪魔とグランディエが
署名した「契約書」すら出てきた(「神を否認して悪魔に仕え、できる限りの
悪を尽し、なろうことなら人間でなくなり悪魔になることを願う」)。
グランディエは、ルイ十三世直々の指名による特別法廷で魔法使いとして
裁かれ、一ヵ月余の審理を経て、膨大な証拠(悪魔との契約書など)によって、
火刑による死刑が宣告された。 刑は一万人以上の見物客の前で執行。
裁判中に、修道院長と修道女の一人が、無実のグランディエを告発して罪に
おとし入れたと告白したが、その告白も、魔法使いの魔力を証明するものと
され何の影響も及ぼさなかった。この異常な事件は、欧米では繰り返し検証の
対象となり数々の論文や小説が書かれた。 映画も(カヴァレロヴィチ
「尼僧ヨアンナ」、ケン・ラッセル「肉体の悪魔」)作られ、オペラも
(ペンデレツキ「ルーダンの悪魔」)作られている。・・ ≫
▼ 信じがたい事件だが、事実?なのだろう。神の存在証明は、難しいが、
こういう憑依なら、でっち上げ易い。しかし集団となると、誤魔化しは難しい。
17Cのフランスで、17人の修道女が集団の悪魔憑きの物語となると?
やはり信じがたい。信仰心を深めるための法王庁の戦術も考えられるが・・
・・・・・・
4660, 知る悲しみ ー『極道辻説法』は、シマゲジがゴーストライター
2013年12月19日(木)
  * 今東光の『極道辻説法』は、シマゲジ作ー『知る悲しみ』島地勝彦著
 図書館でみつけた島地勝彦著「知る悲しみ」。 
例の「水の上を歩く? 酒場でジョーク」島地 勝彦・開高 健 (著)の、
元プレーボーイ編集長の島地の著書。
「知らない悲しみより知る悲しみのほうが上質である」とは、言い得て妙だが、
何と『極道辻説法』の「和尚前白」は島地が東光に憑依して書いたと告白する。

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12月19日(土)
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