ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5379,閑話小題 〜70歳の峠は
道すべて把握し、それらの道がどこに続くかを正確に予想できたときである。
しかし、ストレスを受けているとき、窮地にあるときには、多くの人が一番
重要な道を見落としてしまう。それは、上方に向かう道。 危機や逆境から
延びる道は3つある。
1つは、いまいる場所をぐるぐる回る道。ネガティブなできごとは変化を
生まないため、いつのまにか出発点に戻ってきてしまう。
2つ目の道は、さらに悪い結果へつながる道。悪いことが起き後に、そこから
更に悪い状態になっていく。 こういう道があるために、人は事態に立ち
向かったり、難題に桃戦したりすることを逃れる。
3つ目に、私が「第三の道」と呼ぶ道がある。これは失敗や挫折から始まり、
人をより強くし、困難のさなかにこの道を見つけるのは易しいことではない。
経済不況でもその他の危機でも、そういうときに作られる脳の地図は
不完全なことが多いし、皮肉なことに、ポジティブで生産的な道が一番
見えにくくなっているからだ。無力感や絶望に覆われていると、そういう直が
存在することすら信じられない。 だから探そうともしない。しかしこれこそ、
ぜひとも探さぶければならない道である。そこで、「第三の道」を発見できるか
どうか、挫折に打ちのめされるか、そこから立ち上がれるかを、分けられる。
挫折を「成長の機会」ととらえられる人が、その成長を実現できる、
ということを多くの研究結果が示している。逆に、挫折を「この世の終わり」
ととらえるなら、その通りになる。 ≫
▼ 私の経験でも、節目で「第三の道」が現れ出てきた。
思いもよらないチャンスが、そこにあった。 それが運命を変えてくれた。
三年前の節目の「第三の道」とは何だろう。 足元を見直し、内省をより深く
すべきということ? 日々を味わう? 実際、自然の成り行きで、そうして
いるが・・ 今さら第三の道でもないか! 「死の淵に立ってこそ分かること、
後悔することを、今、経験しろ」ということか。 日々を楽しみ、味わって
過ごせば、第三の道を歩くことになるが。
・・・・・・
4647, 閑話小題 ー「考えないこと」こそ罪 ー2
2013年12月06日(金)
* 「考えないこと」こそ罪 ー2
 人間が考えないのは、「馬鹿の壁」に取り囲まれているからである。
 その「バカの壁とは何か?」をネット検索すると・・・
《「養老 孟司の『バカの壁』を解りやすく説明してください」の問いに対し、
「人間は、外界からの刺激を感知する際に、その刺激に対してX(エックス)
という変数をかけている。例えば私たちは、自分が大好きな歌を聞くときには、
「その歌」×「限りなく大きなX」に導かれる値を刺激として受止めています。
一方、まったく興味のない歌を聞くときは、「その歌」×「限りなく0に近いX」
から導かれる値を刺激として受け止めています。そのため、前者の刺激が非常に
大きく、その人に対して多大な影響を持つのに対し、後者の刺激は「空気」
のような存在です(レストランの有線放送が良い例)。「バカの壁」とは、
こうした「外界からの刺激に対する無意識の判別」を指す言葉だと理解します。
もし全ての刺激に「大きな変数」をかけてしまうと、その結果頭に入ってくる
刺激に対応しきれなくなるため、刺激の必要不必要を判別するこの機能は非常
に重要です。それは外界の刺激に対する「目隠し、壁」としても働いている。》
▼ バカの壁は決してマイナスだけでない。問題は、自分のそれを意識できるか
 どうか。人間である限り誰もが考えている。問題は、より広く、より深く掘り
下げて考えようとしないこと。現在、アベノミクスのミニバブルが起きつつある。
15〜6年前のデフレ直前1990年代半ばに似ている。その後に2001年の9・11テロ、
2008年のリーマンショック、そして、2011年の東北大震災が起こった。
現在の私の立ち位置の高台からは津波(恐慌)の本体が見えるが、眼下の海辺
近くの街中で、宴会で酔い遊んだり、仕事をしている人は、次の大津波が
見えない。それを察知するに、自頭で考えるか、情報に対する己の勘しかない。

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12月06日(日)
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