ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5368,世間、社会、会社の意味とは ー③
プエブロ族を訪ねる。彼が非常に心を打たれたのは、その品格のある姿。
ヨーロッパの老人たちと比較すると、そのたたずまい、容貌などがまったく
異なっていて、犯し難い尊厳性を感じさせる。そのうちにその秘密がわかる。
ブエブロの長老たちは高い山に住んで、自分たちの祈りの力により太陽の
運行を支えていると信じているのだ。 彼らの存在感のスケールが大きい。
彼らが祈りを怠ると、世界中のすべての人々が太陽を朝に上ることができなく
なるのだろう。あの老人たちの品格が高いのも当然と納得する。
自分の生のスケールが今生きていることのみではなく、死後や宇宙にまで
拡大される。この話を知って、高齢者の生き方について考えさせられるが、
さりとて、現代人として、高齢になると太陽の運行はおろか、家計の運営
にも関係なくなるのではなかろうか。現代人のなかのどれだけの人が、
御先祖の一員になることを確信したり、祈りによって太陽の運行にかかわる
と信じたりできるだろう。・・ ≫
▼ この老人の信念が宗教の原点だろう。”井の中の蛙大海を知らず ”とは、
『狭い世界に閉じこもっているものには、広い視野や考え方はできない。』
の意味だが、以下の意味もある・・
�井の中の蛙大海を知らず されど 空の深さ を知る
�井の中の蛙大海を知らず されど 天高き を知る
�井の中の蛙大海を知らず されど空の蒼さ は知る
�井の中の蛙大海を知らず されど空の広さ を知る
�井の中の蛙大海を知らず されど井戸の深さ を知る(ネットより)
とすると、世間様も、あながち否定はできないことになる。品格ある人は、
時間軸と空間軸がきっちり出来ているから、自分の価値に確信出来るのである。
少し考えれば、137億年のビッグバン以来の歴史に、この自分がつながって
いることが分かる。
・・・・・・
4636, 年齢(よわい)は財産
2013年11月25日(月)
* 年齢と財産の結び目から見える女の一生
ー「年齢(よわい)は財産」日本ペンクラブー
以前、この瀬戸内寂聴の以下の文章を読んで、何もかも洗いざらいに曝け
出す作家の覚悟に圧倒されてしまった。「作家は、大道に素っ裸で大の字に
なる覚悟がなければ」という彼女の言葉を思い出していた。(他の作家も
似たような、言葉を残している)両親の創業時の修羅の姿に似ている。
生きることが、だいたい大道に素っ裸で寝ているようなもの。
で、自分の姿は見えないが、他人の素っ裸の姿を囁いているが、その実、
それが自分への猛毒になっていることが解らない!
《 私は二十六歳の真冬、夫と子供の家を出奔した。その時、夫は私の着て
いるオーバーもマフラーも脱いで行けと路上に追いかけてきていった。
尤もだと思い、その場ですべてを脱ぎ、着のみ着のままで歩きだした。
夫の声が追った、財布も置いて行けと言う。 ちょっと考えたが、やはり
尤もだと思い、それをきちんと畳んで路上に置いたオーバーの上にのせた。
私はふり向かず、電車の線路づたいに、ひたすら歩きつづけた。
私の人生再出発はこうして無一文で始まった。線路を一時間ばかり歩いて、
東京に嫁いでいた故郷の女学校の友人の家にたどりつき、彼女が柱に
ぶっつけて割ってくれた素焼きの桃の形の貯金箱から、座敷にあふれ散った
銅貨を全部借りた。かき集めて、東京から京都まで鈍行の汽車賃になった。
京都で東京女子大の友人の下宿に転りこみ、下着から靴まで借りて職を探した。
ようやく勤めた小さな出版会社がつぶれ、京大の付属小児科病院の研究室に
移った。そこで少女小説を書き、投稿したところ、みんな採用され「ひまわり」
の懸賞も当選した。正式に離婚出来たのと、故郷の父が死んだのをきっかけに、
背水の陣を敷いて上京した。 すべては行き当りばったりの身の処し方で、
いつでも経済を度外視していた。家を出たのが二十六歳で、京都暮しから上京
したのが二十九歳であった。 少女小説で食べつなぎ、「文学者」で小説の
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11月25日(水)
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