ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5288,「毎日を一生懸命すごすこと」の価値 〜『自分を超える法』
推進派と即時廃止派、さらには漸減派、一旦凍結派等々、議論が百出する。
「何を大切にしたいのか」を巡る論争には、唯一絶対の正解などない。
さらにこの問題を突き詰めてみると、わたしたちは、正解が見えないものに、
とりあえずの解を出さないと前に進めないことにも気づく。 私たちは、
不確定要素に満ち、偶然に左右され、先行き不透明な問題に囲まれ生きている。
わからないものに取り囲まれ、わからないままベストの解を出すことを迫られる。
国の経済政策も、企業の経営戦略も、個人のキャリアも、構造は同じなのだ。
こういう問題に直面して、「価値の遠近法」を使って、よくわからない問題を
仕分けていく時に必要なポイントについて、「ようわからんけども大事!という
勘がはたらくか」「わからんことに囲まれていても、なんとか切り抜けていく」
野性的な思考が必要という。≫
▼ <「右下がりの時代」は、社会が‘まとも’になっていくためには
悪いことではない。右上がりの時代には次に何を手に入れようかと考えて
いたわけだが、下がっていく時代には「何をまずあきらめるか」を考えざるを
えない。「価値の遠近法」を、嫌でも頭に入れておかなければならない>
とあるが、老いていくことは、不要なものを捨てていくこと。
「価値の遠近法」の④、③、②と、一つずつ捨てて、①に絞ること。
そのために教養が必要になる。今さら遅いかどうかは、その人によるが・・
「お金は、②、いや、①?」
――――
4556, グレートジャーニーから見えてきたことは ? ー1
2013年09月06日(金)
* 追われ追われて南米最南端
「新潮45ー6月号」ーたけしvs・関野吉晴の対談ーより
冒険家が人類の移動の跡を辿って見えてきたのは、
「人類の弱者が、より悪い環境の地に追い込まれて、その繰り返しの究極の地が
南米最南端パタゴニアであった」ということ。アフリカから追われ、その移動先
で落ち着くと、その中の弱者はまた弾き出される。その積み重ねが、アフリカ
から南米の最南端までの人類の軌跡であった。その過程で生き延びる知恵こそ、
弱者の知恵になる。その過程で彼らは進化したかというと、そうではない。
北アフリカと欧州に留まり闘い続けた人間が、文明の基礎を作りあげていった。
逆に、エスキモーとか、南米インディアンは、逃げることで生き延びていった。
弱者には逃げるしかない。この切り口で人類の歴史を鳥瞰してみると面白い!
僻地の人間は、そのためか優しい。 ーその辺りから抜粋ー
《 たけし〕しかし、六万年前に人類がアフリカから移動していって、
世界中に広がったルートを逆に辿る発想は面白いけど、ずいぶん無茶なことを
しましたね(笑)。
関野〕 確かに逆ルートは無理があります。やっぱり人類は逆ルートで移動しない
ことが、やってみると分かります。全部、逆風なんですよ。例えばべーリング
海峡を渡るときに、風速5〜10Mのいい風というのは西から吹く。
僕はアラスカからシベリアに行くわけですから、東風が欲しい。しかし、
東風は風速15M以上になることが多い。
たけし〕どうしてアフリカで生まれた人類が全世界に移動したと
言われているんですか?
関野〕研究者によって意見が違っていて、僕は最初、「あの山を越えたら
何かあるんだろうか」という好奇心、あるいは「あの山を越えたらもっと獲物
がいて、いい暮らしが出来るんじゃないか」という向上心で心で動いていたと
思っていました。もしそういう好奇心とか向上心とか、いわゆる
進取の気性に富んでいたなら、一番遠くまで行った人たちの末裔のはずです。
たけし〕そういうことになります。
関野〕ところが行ってみたら逆でした。南米最先端に行った人は一番弱い人です。
そこでは狩猟生活もできない。ホタテとかカニをとって生活をせざるを得ない。
どうしてそんなところに移住してきたのだろうと考えてみると、弱いから。
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09月06日(日)
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