ID:54909
堀井On-Line
by horii86
[382991hit]

■5289, ー「原因」と「結果」の法則 ー  〜②
ー「原因」と「結果」の法則 ージェームズアレン(著)
   〜まえがき〜より
《 私がこの本で行っていることは説明というより提案であり、その目的は、
 出来るだけ多くの人たちが、みずからの手で、「自分こそが自分の人生の
創り手である」という真実に気づくことにあります。
 私たちは、自分自身が選び、めぐらしている思いによって、自分の人生を創り
上げています。心は、人格という内側の衣と、環境という外側の衣の双方の、
熟練した織り手です。そして、それらの衣は、これまでは暗闇と苦悩の中で
織られてきたかもしれません。でも、それらは、そもそも光と幸せのなかで
織られてしかるべきものなのです。》
   〜思いと人格〜
《 行いは思いの花であり、喜びは悲しみはその果実です。思いによって私たち
 人間は、自分自身を育てる、甘い、あるいは苦い果実を収穫し続けるのです。
「人間は思いの主人であり、人格の制作者であり、環境と運命の設計者である」
・・私たちは、自分の人生に深く思いをめぐらし、それを創り上げている法則を
自らの手で発見したときから、自分自身の賢い主人となり、自分自身を知的に
管理しながら、豊かな実りへとつづく思いを次々とめぐらすようになります。
そのときから私たちは、自分自身の意識的な主人となります。・・ 》
▼「念じれば花開く」である。「因果応報」という仏語がある。
 その意味は、【行為の善悪に応じて、その報いがあること。現在では
悪いほうに用いられることが多い。 「因」は因縁の意で、原因のこと。
「果」は果報の意で、原因によって生じた結果や報いのこと】
 仏教的考えを、西洋的に説いているともみれるが、思いが、如何に大切か。
人の心は9割がマイナーの思いに捉われているというが。意図的にプラスに
することは可能。 己を導くのは、誰でもない、自身だけ!
・・・・・・
4924,パワレルな知性 ー2
2014年09月07日(日)
   * カフェという集い −①   『パワレルな知性』鷲田清一著
 『カフェ』について、が面白い!
   ー 学生時代の効用は、このフリーの立場での交わりが良い!
≪ このところ市中では「カフェ」という催しが盛んである。
「カフェ」と いっても喫茶店のことではない。「サイエンス・カフェ」とか
「アート・カフェ」といった類の、小人数でおこなうディスカッションの会。
市民が三々五々集まり世情について自由に論議し、その議諭を活字化するあの
ジャーナリズムの原型ともいうべきものを生んだ、英国の「コーヒーハウス」
にちなんで、そう名づけられたらしい。じつはわたしも15年ほど前から
「哲学カフェ」なるものを、町なかの集会所で、あるいはお寺の一室を借りて、
そしてときにじっさいに喫茶店でもやってきた。何について議論するかは、
集まった顔ぶれでその場で決める。そしてテーマに即して、だれかがまず
じぶんの経験を、そしてその解釈を語りだしたあとは、それを糸口に延々
三時間から五時間、あれこれ話しあう。 ルールはかんたんで、
:たがいに名を名乗るだけで所属も居住地も明らかにしない、
:人の話は最初から最後まできちんと聴く、
:他人の著書や意見を引きあいに出して長々と演説をしない、この3つである。
わたしはもう籍を離れているが、大阪大学の臨床哲学研究室では、かつての
同僚や大学院生たちが個々にそれを拡げ、通算すると、もう数百回になると聞く。
ある日、もっとも年配の参加者が最後にぽつりと話したことばが忘れられない。
司会をしていた大学院生がまとめに窮しているときに、その、老人が口を
はさんだ。「まとめんでいい、知り合いでもない孫のような歳の子とこんなに
『家族とは何か』ということをまともに話しあったというだけで満足や」。 ≫
▼ 人生を振り返ると、20歳代の経験がベースになっている。視点が固まる、
 それまでが分かれ目! それに10歳までの実家の店舗での生活もある。 
今から考えると、様々な人間が集まり、その生態が、あからさまに露出していた。

[5]続きを読む

09月07日(月)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る