ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5242,他諺の空似 〜ことわざ人類学 〜①
みんな可愛いらしいね」と息子に言うと、「実は、そうでもないんだよ!」・・
 話が変わるが、その後、大宮駅まで見送りに来た息子と三人、居酒屋で晩餐
をすることになった。その時に、息子が歩きながらスマホで電話予約。
「知っている店?」と聞くと「知らない!」と、歩いていく。そこで
「検索のキーワードは何?」と聞くと「大宮駅、居酒屋、個室、予約」。
スマホのGPSが、道筋を誘導し、遊歩道を2〜3分歩いた飲食ビル9Fへ。
その間、僅か5分!探したり、迷う余地ゼロ。丁度良い店であった。 
それにしても時代は変わったものである。
   * 大相撲の立ちあいに、肘打ち!
 エジプト人の若い力士が、ここで二日続けて金星をとった。よく見ると、
立合いの出あいがしら、肘打ちを相手の顎に全身で叩きつけている。これは、
厳禁の握り拳で殴るより危ない打撃系格闘技。連続して負けた二人の横綱、
それを恐れ自滅した相撲内容。 近々、禁止?これは一種のカテゴリーキラー! 
モンゴル人の横綱が、その地位を利用して格下力士に張り手をしているが、
これも打撃系の軽いもの。最近は平気で、横綱に張り手をするツワモノもいる。 
格闘技のカテゴリーキラーといえば、柔道がある。ロシアのサンボや、
レスリングの技を柔道の持込んで、柔術から生まれた「柔道」に対し、
レスリングの「倒して背中を付ければよい」という考えを取り入れた
「JUDO」になっている。このため本来の柔道の姿が変わってきた。
大相撲も、時代の流れをふまえ、規則も変えるべき時? 
いや、何でも有りが面白い?
・・・・・
4510, どうせ死ぬなら「がん」がいい ー4
2013年07月22日(月)
     『どうせ死ぬなら「がん」がいい』近藤 誠 (著)中村 仁一(著)
 今まで大半の日本人には「命の長さが絶対」という思い込みがあった。
医師も最大限生かそうとし、家族に示そうとした。また日本人には死に目に
立会うべきという通念があり、家族が集まり、最期を看取るのが価値あることと
信じていた。でも、それは本人にとっての幸不幸でなく、一種の儀式のためで、
家族はモニターの波をみていて死にゆく人をみていない。当人にとって
延命は苦痛そのもので、「孤独死」でしかない。 
 以下の項目も、辛辣な医師と家族への批判だが、こんなもの。
    * 第三章 日本人と死
・死に目に立ち合う症候群      ・臨終のすったもんだ
・胃ろうと「生かすことはいいことだ」・1時間かけて食べさせるのは愛情?拷問?
・生死も「長いものに巻かれろ」   ・自然に死ねる「野垂れ死に」「孤独死」
・90歳過ぎるとだれも遣骨を取りに来ない 
・死後の始末を他人に頼むには、金がかかる
・「香典医療」で死ぬ前の数ヶ月に大金を使わせる ・余命6カ月エクササイズ
・日本人は自分で決められない   ・無言の「若さ圧力」「健廉圧力」がすごい
・「平穏死」と「胃ろう」       ・がんの治療やーめた
・がんを放っておくと家族がうるさい  ・薬師もにわか軍医も医者に昇格
・放射線科で一生懸命になった理由… ・昔の「老衰死」は大部分、がん
・モルヒネは太古からの痛み止め剤    ・「在宅での看取り」への動き
・男が長生きしたら、老害でまわりが困る ・カロリー制限しても寿命は延びない
・死にゆく姿を見せるのは最高の遺産   ・あなたは立派な患者だった
▼「野垂れ死に」「孤独死」が理想の死に方とは思いもよらなかった。
一番恐れている死に方が、実は理想とは。 数年前に独り住まいの孤独死が問題
になり、そのTVドキュメントを放映していた。そこで、誰かが 「孤独死が悲劇
というのは周囲の思い込みでしかないのでは?」と疑問視する見方があった。
家族に囲まれても、死に逝く者は孤独である。死に目の立会も、孤独死への
恐怖も、残されたものの思い込み。生き残るものは立場からして違うのである。
哀しみの感情を満たすため、当人の真の辛さが二の次。で、逝く者は地獄。  
やはり自分の延命に対する「事前指示書」を示しておくべき。そうこう死に

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07月22日(水)
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