ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5000,閑話小題 ー今日で5000回!
書いたと驚いている。 次は五千が目標になるが、四千回を契機に、時どき休むことにする。 
また五千回に到達した時点で半年位は休むつもりである。この程度の文章は誰でも書けるが、
一応自分で納得した内容を書き続けるのは大変である。充実感があり、習慣化したから
可能だった。「チョット聞いてよ。こんなことがあったよ!」という長屋のハッツァンが、クマサン
に自慢気に話している感じである。もちろん、自分のために整理し知識として残すのが
目的だが、せっかくの獲物?を共有することで、学び続ける動機づけにしている。 気楽に、
面白可笑しく、バカ丸出しで、地頭で、書いたため、それが、そのまま伝わっていたはず。 
それも四千ともなると、自分の脳内そのものでもある。 自分の貯めた文章を毎朝、
同月同日分を読む楽しみは格別。今では、その日書いた分を含めると11年分の同日の
自分に出会っている。書いたことも、その内容も、ほぼ忘れた文章が、早朝に読み返すのは
不思議で奇妙な感覚になる。だから倒産とか、それに関わる嫌な日々も、この御陰で毎朝、
心が洗われる。 文章を起承転結でまとめるのはプロならいざしらず、気力が無いと無理。 
但し、一度、その習慣をつければしめたもの。 しかしブログに字数制限があるため、
当日分の書いた分だけ、過去に書いた文章をカットする。それが、身を切る思いになる。
しかし、それが好い加減な文章を書くと数年もしないうちに、自分の手で削除することに
なるので、内容の質を落とせなくなる効用がある。 文は、一度書き、アップすると、
あとに戻せない。何気なく書いたために明らかに傷をつけた人が何人かいる。 
注意はしているが、厳重な注意が必要だが、それが見えなくなってしまう。
時系列に書き続けていると、ある意味で、メモ帳、雑記帳にもなるが、毎日、書き連ね、
別ボックスに分類すると、違った意味で、価値が出来てくる。また分類ボックスの一番下に、
過去に書いた文章の検索が出来るようになっている。 時々、検索をすると、キーワードの
入った文章が出てくる。もし、秘境旅行、と入れれば、過去に書いた文章が時系列に出てくる。
これは記憶の検索になる。
――
3000、3000回か〜
2009年06月22日(月)
 この随想日記が3000回になった。1000回、2000回の時ほどの感慨がない。
書き続けることに慣れてきたのだろう。 誰に頼まれたわけじゃなし、ただ習慣だから
続けているだけ。確かに、続けているとプラスにはなる。 考えざるを得ないからである。 
それと、常に何か書くことがないか注意を周囲に向けるようになった。 その現場で、
キーワード探しと、その組み合わせをするようになっている。
書くことを職業にしている人は、考えることを職にしていることになるが、
紺屋の白袴で・・・・?
ところで、千回、二千回の時に何を書いていたか、調べてみた。 
なるほど、今回も同じような気持ちである。ふと、気づいたが、自分とは時間の経過と
同時に広がっているということ。それと、心の底の変わらない‘X’が魂ということになる。
――
2000, 継父
2006年09月24日(日)
           (。^0^。)オッ(*^○^*)ハ〜
今日は母の命日で、亡くなってまる十年経った。
この随想日記2000回と重なるところが不思議である。
早かったのか遅かったのかというと、大昔のような気がする。
5年半の間、痴呆症になっていたが死に際の入院まで
オシメをすることがなかった。

痴呆症を切れ掛かった蛍光灯に例えると分かりやすい。
始めは時々切れてはつくが、その回数が増えてくる。
マダラボケがジワジワと悪化すると被害妄想や、
抑えていた悪口・陰口が始まる。
心が腐っていくのが手に取るように解る。

マダラボケは一緒に生活をいていると疲れるものである。
亡くなって一月後になって、
「人様はなんて楽な日常を過ごしているのだろう!」と、驚いてしまった。

両親の一生をみると、人生の深さを思い知る。
戦争は全ての国民に深い傷と重石を担がせる。
第二次大戦直後に生まれたが、

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11月22日(土)
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