ID:54909
堀井On-Line
by horii86
[391403hit]
■4974,閑話小題 ー韓国が変なわけ
客と浮気、離婚。女の子がいたが、裁判の結果、私が引き取り、母親ともに育て上げた。
子供は巣立ち、今は、母と暮らしているが、生活で手一杯。人生何も良いことはなかった・・」と、
数分で彼の人生を物語風に語った。「一限の客に、よく話しますね!」というと、「ここまでくれば、
恥も何もない・・実は、お客さんを乗せたことがあり、身の上話をしたことがあったんで」と。
タクシーに乗ると、必ず景気とか、収入とか、生活状況を何気なく聞く習慣がある。
以前、何か聞いたのだろうが、色いろな人生がある。 人生は一度、歯車が狂うと、孫子何代、
その影響を受けてしまう。順調時から、「まさか」の坂に備え(シェルター)をつくっておくべきは、
身をもって言えること。助けてくれるのは自分だけ! 「自分だけは、自分の会社だけは、
大丈夫!」と、つい思いがちだが・・ 地球規模から見れば、グローバル化が世界を激変
させている中、各人の「そして、人生がつづく」。 情報化、グローバル化、まさかの事態
(ブラック・スワン)、弱肉強食などがキーワードになる。特に、グローバル化は、島国の
日本にとっては大きなマイナスをもたらす。それぞれの『私』も、思い込みでしかない・・
・・・・・・
4232,雑談ネタ、酒の肴ネタ ー7
2012年10月27日(土) ー「ルーツ大全」インフォペディア編 より
* 食べると危険 ートマトはもともと観賞用の植物
≪ 生で食べてもおいしいし、ソースやケチャップの材料にもなるトマトだが、じつはヨーロッパでは
長いあいだ、トマトは観嘗用や薬用としてしか利用されていなかった。トマトの原産地は中南米。
メキシコでは「トマトル」という名で煮込み料理などに使われていた一時代を経て16〜17世紀に
ヨーロッパのもたらされた。当時のトマトは品種改良も進んでおらず、甘味もなく美味しくなかたようだ。
トマトが食べられるようになったのは、イタリアの貧しい農民が、二世紀を経た後に、飢え死にを
するぐらいならと食べたのがキッカケ。≫
▼ これも多くの野菜同様に南米から持ち込まれ、当初は観賞用で、「黄金のリンゴ」「愛のリンゴ」
と呼ばれた。
* 冷使用人の嫌がらせが功を奏した? ー清酒誕生の裏話
≪ 清く澄んだその見た目から、日本酒は清酒とも呼ばれる。日本酒が現在のような透明に
澄んだ酒に変貌するのは、江戸時代初期のこと。じつはそれまでの日本酒は濁り酒で、今でいう
どぶろくだった。その濁り酒から澄んだ透明の酒ができたのは、まったくの偶然からだった。
江戸時代初期、兵庫県にあたる摂津の国に、鴻池新六という酒造業者がいた。ある時、新六が
素行の悪い使用人を叱ったところ、その男は蔵の酒桶に灰汁を投じて逃げてしまった。
主人を困らせようというもの。ところが思わぬ効果を挙げた。翌朝になって新六が桶の中を見ると、
今まで白く濁っていた酒が清く澄みわたり、味も香りも驚くほど芳醇なものに変わっていたのだ。
まさに、偶然の産物だった。使用人の恵業かなければこの発見はなかった。新六は、この酒を
江戸まで運んで売ることを思いつく。運び賃をはじめとする流通の経費はかかったが、清酒を
求め大名の間で、奪い合いになるほど大評判になり、売れた。新六は江戸と摂津の国を何ども
往復して莫大の利益をあげると、大阪に出て商売を広げた。こうして鴻池家は大阪を代表する
豪商になっていくのである。≫
▼ 大阪の鴻池が、こういう経緯で大財閥をつくったとは知らなかったが、面白いものである。
ただ、それを大々的に売り出した、新六の才覚があったことも大きい。
・・・・・
3867, 三〜四年前の為替相場
2011年10月27日(木)
三年前の2008年10月25日(土)≪随想日記のテーマ「閑話小題ー毎日が薄氷の上」≫
が為替相場について書いていた。
≪ 9月の半ばから恐慌前夜の重い雰囲気である。日経平均も三ヶ月で40%も暴落、
何と7600円まで下がった。ドルが95円、ユーロが120円。 世界はパニック寸前か、パニック
[5]続きを読む
10月27日(月)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ
[4]エンピツに戻る