ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■閑話小題 ー"老後破産"の現実
・そうした中、二〇一〇年のメキシコのカンクン会議で中国が、二〇二〇年までに経済の炭素集約度を四〇〜四五パー
 削減すると表明した。これは、GDP当たりの二酸化炭素排出量を、二〇〇五年水準の半分強まで減らすことを意味する。
 中国では、福島原発事故で、原子力への信頼が揺らいでいるのにもかかわらず、新しい原子力発電所を増設していく。
 風力発電など再生可能エネルギーへの投資も増える。
・温暖化で北極は、夏の間は海になるという将来が予想される。海水部が増えることにより、海洋地下資源開発の促進、
 あるいは新たな漁獲域の出現など大きな変化があるだろう。
・人類の活動によるもうひとつの副産物「エアロゾル」は冷却機能を持つ。成層圏にこのエアロゾルを人為的に
 注入することによって温暖化を防ぐという案があるが、どのような影響が出るかわからない面も多く、リスクが
 あるため実現はしないだろう。
▼ 当分の間、現在、生きていくため将来を犠牲にする構造は変わらない。その結果、温暖化問題が、より深刻化
 していく悪魔の循環が、日々、大きくなっている。 世界の氷河の幾つかを見てきたが、何処も氷河の後退が話題に
 なっていた。「地球滅亡」をテーマにした映画を最近、多く見てきたが、このままでは、現実問題になってくる。
・・・・・・
4216, 開国という強迫観念 ー3
2012年10月11日(木)                      
 * 果たして世界>東京>地方か、先進文化度の順は? ー反・幸福論『開国という強迫』ー京大教授・佐伯啓思
Uターンをして、地元に帰ってきて、私の地元に対して感じたのは、閉鎖的城下町の世界だった。
とにもかくも、染まらない、人間関係の序列社会から離れることだった。間違いなく、世界>東京>地方>城下町の
視線だった。新潟市でさえ外部の比率が6割に対し、長岡は2割しかいないことを知った。要は盆地の雪国だった。 
住居を長岡、事業を新潟市にして毎日、通っていると、それが浮き上がって見える。それも首都圏から見れば似た
ようなもの。それを逆照射してみると、世界というより欧米から見れば、日本は極東のアフリカか、中南米のような
世界と同じ。5百年近く前に、日本にやってきた西洋人が、この東洋の島国にやってきて、その文化の高さに驚いた。
当時の織田信長の鉄砲で固めた軍隊は、欧州を滅ぼすほどの近代化された軍隊であった。 世界>東京>地方の
図式は、こと日本において、決して当てはまらないのである。  ーその辺を抜粋してみるー
≪ 世界」を「東京」に、「日本」を「田舎」に置きかえると、「東京」は「国際化」の象徴であり、外へ開かれた
 都市でした。東京へ行くことは、また自分を世界へ開くことでもあったのです。それに対して地方や田舎にいることは
内向きで閉鎖的な部族民に甘んじることなのです。そして、この場合、「東京」が普遍的な「世界」を象徴するならば、
「地方」や「田舎」は特異な「日本」そのものだった。誰も「日本的風景」や「日本的社会」という言葉を聞いて
「東京」を思い浮かべはしないでしょう。「日本的」で連想するのは、田舎の野原に囲まれた風景だったり、地方での
いささか窮屈な生活だったりするのです。だから、確かにここにはかなり「複雑」な事情があります。このことを
突きつめてゆくとかなりやっかいな問題がでてくるのではないか。それはこういうことなのです。
「開国の論理」とは、まずは「田舎」を捨てて「都会」をとるという論理で引く。そして、日本の近代化とはまさしく
「田舎」を捨てて「都会」をとろうとしたのでした。「開国の論理」とは、まさにその延長上にある。ほぼ日本近代化
の論理そのものといってもよい。日本の近代化とは、「田舎」の閉鎖性を後進性とみなして、これを捨てる、もしくは
これを「都市化」することだったのです。この同じ論理をもう少しスケールアップしたのが「開国の論理」でした。
「世界」=「都市」、「日本」=「田舎」と見なせば、ここで、われわれは「日本」を見捨てるか、さもなければ

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10月11日(土)
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