ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4921,一度、死んでみましたが −3
どうってことないと考え、全てを芸術論でかためてしまう人生観を送ってしまったところがあった。
芸術は芸術の中でのみ完結するという錯覚は、完全に幻想だったことが理解できた気がする」
この言葉が核心といっていいだろう。 若い頃から、ナルシシストで自意識過剰の横尾は、
75歳になる今年も、そこから抜けるために未だ苦労している。自意識過剰から抜けるための
試みの一つが、全国あちこちでやっている公開制作である。 公開制作について横尾は
「(公開制作を行っていると)無私になる。不思議なことに雑念が去来しなくなる。
『私』の意識が薄れる」と語る。この公開制作時のテーマは「T字路」である。なぜT字路なのか?
それは62〜63歳の頃に10年ぶりに帰った故郷の西脇で、子供の頃に良く通った、
T字路に建つ模型屋が奥の壁を残して、あとは見る影もなくなっている姿に、膝が崩れ落ちる
ような衝撃を感じ、そのT字路を描くことでノスタルジーをもった「個人」から自由になり
「普遍的な個」と感じるからだ。横尾は幼児の頃に叔父の家に養子に入り、溺愛され育った。
彼にとって過去の記憶はすべてよきものと言っていいだろう。決して忘れたい過去に苦しむ
人間ではないのである。芸術と生活は別、と考えて60代にまで至ったこと自体にに驚くが、
同じくナルシシストで、「芸術と日常生活は別」と同じことを言っていた三島由紀夫に傾倒し
多大な感化を受けていたことを考えると、不思議ではないのかも知れない。》
▼ 横尾は、「隠居は、嫌なことをしない、好きなことだけをする生き方らしい」と、述べている。
それからすれば、昔から隠居ということになる。目先、不自由でない位の金と、有り余る時間が
人生を通してあった。足らなかったのは、それを使うほどの能力。 事業人生の結果は、
自己精算に近い事業整理で終わったが、充実感が残った。それは、有り余る自由な時間に
恵まれていて、事業も生活も趣味も楽しんだ手応えが残っているから。そう思うしかないが・・
・・・・・・
4179, プライドと自尊心と虚栄心
2012年09月04日(火)
* 「プライドが高い」「誇り高い」「自尊心が高い」の違いは?
言葉のイメージとしては良い順に ・自尊心がある ・誇り高い ・プライドが高い になる
ー 哲学者の池田昌子は、このへんのことを解りやすく説いている。 (ー14歳からの哲学ーより)
≪「自尊心がある」はプラスを含んだ言葉で、「プライドが高い」は自分の弱さをカバーするための防御する気持ち。
自分がしていることを自覚できるのは、それについて考えられる精神を所有している人間だけ。精神は自分を自覚する。
精神としての自分を自覚する。そこで精神にとって精神よりも大事なものはないと知る。なぜなら、精神としての自分に
とって何が大事かを考えることを知ることができるのが、まさに精神だからだ。自分を大事にするとは、つまり精神を
大事にすることである。「自尊心」とは、自分を尊ぶ、自分を愛するということの、本当の意味がこれだ。
自尊心を持つことと、プライドがあるということは、間違いやすい。誰も自分が大事で、プライドがあると思っていれば、
他人に侮辱されても腹が立たないはずだ。なぜなら自分で自分の価値を知っているなら、他人の評価は気にならないはず。
もし腹が立つなら、自分の価値より他人評価を価値としているからだ。それは自尊心でなく、虚栄心ということになる。≫
▼ 自尊心は『本当に自分を尊く思える心』。プライドとは全く違う。人から否定的な事を言われたり、弱い自分が
さらけ出されても自尊心が高ければ、心は揺らがない。自尊心が低いと、他人の評価を気にしてプライドと言う
虚勢で弱い自分をカバーする。プライドの高さは虚勢の高さに他ならない。自分を尊び、価値ある存在と信じる
自尊心とは違う。そのため自尊心の低い人ほどプライドが高くなる。年齢をかさねるにつれ、それが小さくはなるが、
女子と小人は、その壁がますます高くなっていく。誇り高いというのはプライドと意味は似ているが、虚勢の高さは
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09月04日(木)
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