ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4914,閑話小題 ー代々木ゼミナールの7割の校舎が閉鎖
古屋は敬遠されて、2年間も空家状態。で、この二年半で、大きな買物はiPadを買っただけ。
自転車も、パソコンも、自動車も限界に近づいているが、それでも充分に使える。
家の中は要らない物のゴミの山。実際のところ、欲しいものは殆どないから不思議。
で、消費税増税の是非の話に戻すと、株式と国債の暴落を待って、一度、根本から精算するしか
ないのは、誰の目にも明らか。今の日本では改革の断行は無理の中、外国へのポーズとしても、
増税は99%は、やってくる!
・・・・・・
4172, 木を見る西洋人 森を見る東洋人
2012年08月28日(火)
* 認知科学者は間違っていた? 「木を見る西洋人 森を見る東洋人」 ニスベッド著
最近になり、「自分が理解していることは、言葉で説明すれば相手は理解してくれているはず!」が、
私の思い込みに気づいた。人間は知りうる範囲で理解しているだけだが、自分が理解している
範囲とは違うのである。 「自分が真実と思っていることと、真実は違う」のである。真実と思って
いても、思い込みのことがあまりに多い。今まで国や文化や肌の色や宗教によって世界観が
変わっても、人間がものを考えるために用いる道具は同じと誰も疑わなかった。
「ものごとを知覚したり、推論するために用いている道具は同じである。論理的に正しい文章は、
日本語も英語も中国語であれ、正しいことに変わりはない。だが、もし、それら全てが間違っていた
としたら、認知科学の大前提を覆ることになる。」と、いう。
緑の原野で、何を見て、何を信じてきたのだろう。
ー以下の部分は、その部分ー
≪ ヨーロッパ人の思考は「対象の動きは(それが物体であれ、動物であれ、人間であれ)
単純な規則によって理解可能である」との前提の上に成り立っている。西洋人は物事をカテゴリー
に分類することに強い関心をもっている。 なぜなら、分類することによって、今問題となってい
る対象にどの規則を適用すればよいかがわかるからである。また、問題解決に当たっては形式的な
論理規則を適用することが有効だと信じている。これに対して、東アジア人は対象を広い文脈の
なかで捉える。 アジア人にとって、世界は西洋人が思うよりも複雑であり、出来事を理解するため
には常に複雑に絡み合った多くの要因に思いを馳せる必要がある。形式論理学はほとんど
問題解決の役には立たない。実際、論理にこだわりすぎる人間は未熟だとみなされることもある。
私は心理学者として、これらの主張が革命的な意味をもっていると感じた。
もし彼らが正しければ認知科学者は間違っていたことになる。つまり、「人間の認知はどこでも
みな同じ、ではない」のだ。人文・社会科学諸分野の研究者たちは、明確にそれと言わなかったが、
実は思考の本質について非常に重要な主張を行っていた。
第一に異なる文化の人々は、世界の本質についてそれぞれの根本的メタフィジックスな信念、
彼らなりの「形而上学」を有している。
第二に、それぞれの人々に特徴的な思考のプロセスには大きな違いがあること。
第三に、そうした思考プロセスは、世界の本質についての信念に合致したものであること。
言い換えれば、人は自らの世界観に合致した方法で世界を認知するということである。
注目すべきことに、社会の構造や人間観というものは、それぞれの社会に生きる人々がもつ
信念体系や認知プロセスと非常によく合致しているように思われる。アジア社会は、集団や周囲の
他者との協調を重んじる傾向があると言われる。こうした特質は、アジア人が文脈を重視して広い
視野で世界を眺める傾向をもっていることや「出来事は極めて複雑なもので、その生起には多くの
要因が関係している」と信じていることと合致。これに対して西洋社会は、個人主義的でお互いの
独立性を重んじる傾向があるとされる。こうした西洋人が特定の事物を周囲の文脈から切擁して
観察する傾向をもっている。≫
▼ 「アジア人が文脈を重視して広い視野で世界を眺める傾向をもっていることに対して、
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08月28日(木)
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