ID:54909
堀井On-Line
by horii86
[392699hit]
■4904,閑話小題 ーバンコクの奇怪な事件の背景は?
『即刻、千葉の事業を引き払い、帰って来い』という。 大学を出て6年以上、極限状況の中で過ごしていたため、
「この程度の案件など朝飯前!」という思いがあった。
そして建直しに5年近く注ぎ込んだ後に、34歳から新潟駅前のホテル事業を始めることになった。
結果として、当時の物件の時価評価と現金で、兄、私、姉夫婦、母が、ほぼ均等の持分になった。
新潟駅前シリーズの当時の持金が1億、更地が時価1億、合計2億。 しかし最期はこれ、悪銭?身に付かずである。
しかし、後悔は一切ない! 長岡の大手通シリーズも、新潟駅前シリーズも面白かった手応えが残っているためである。
ホテルは完成した段階で、立ち上げの面白さで気持ちの上で償却済み。決して詭弁ではない。それが言えるほど面白い。
父の、「長い事業の中では、何が起きるか分からない。万一の備えは充分にすべし」という教えで、手掛けたビルは、
壁面側の鉄骨を太くして、内側の柱は無しか、最小が基本。売りに出したとき、買い手にとって潰しが効く
(スケルトンが可能)構造になるためだ。 そのため、どれも売りに出すと同時に即売。 それは事業設計も同じ。
・支払いは実質現金払い(20日閉めの月末払い)・親戚家族は事業経営に資本も含て一切入れない(資本は私名義)
・借入は地銀最大手と、都銀と政府系銀行で9割 ・妻子の連帯保証はなし。 ・家内の銀行口座は別。
等々がセフィテーネットになり、何とか今まで通りの生活は出来ている。 年齢を重ねるたびに、事業と、
お金の恐ろしさを感じ入っている。上手く乗りこなしている内は良いが、一つ間違うと食い殺される獰猛な虎は、
長年かけ飼い慣らすしかない。「リーマンショック以来、既に世界は深刻な恐慌に入っている」この現実を認めるか
認めないかである。大恐慌前提で言動をしてきたので、読む人にとっては大きな違和感があるはず。
2億で30数億の投資をして、最後に残ったのが虎の革?いや、尻尾!
・・・・・・
4162, 節目時に何をしていたか ー2
2012年08月18日(土)
・30年前=36歳。新潟のホテルの立ち上げ二年目で営業は順調で、一息ついた時。二つ目のホテルの土地を
近くに見つけ、買収交渉に入りつつあった。時代は右上がり。ホテルの1Fで学生ショップを兼業しており、
ホテル名も学生服メーカーの名前をつけていた。月〜金曜日はビジネスホテルが満室で、土日は学生服の
売上を稼ぎと当初の思惑が当たり、ピークの時。この頃、東北・上越新幹線が開通し、新しい波が東北と
裏日本といわれた日本海側にも打ち寄せてきた。
・25年前=41歳。1987年といえば、プラザ合意から三年目。バブルで日本中が湧き上がっていた。
ホテルも280室になり、利益体質が完成していた時期。この時、郊外型ホテルを考えていたが、結局は新潟駅前で
500室を目指すことにした。これも、バブルの影響である。こうして振り返ると、戦後の日本経済と命運が全く
同じだったことが見て取れる。
・20年前=46歳。それまでの無理もあって病気で打ちのめされた。日本経済もバブル崩壊で大不況に突入。
それでも、バブルの予熱が日本を覆っていた。客室数は280室から500室に舵を切る決断をしてしまった。
この時期、20の都銀が近い将来、次々に倒産や、吸収合併されていくとは、夢にだに思ってなかった。
・15年前=51歳。母親が亡くなった翌年。 人生を俯瞰して、「やり残したことを還暦まで圧縮して生きる。
30年分を9年間に押し込む」と考え、決断。今から考えてみて、これは正解で。
バブル崩壊で金融機関の再編成、真っ只中。
・10年前=56歳。「人生の良いところ還暦まで!」と、年数回の秘・異郷旅行など無我夢中。
個人のHPも立ち上げ、生活の中心をネットに移動して二年目。 意味・人生を謳歌していた時期。
しかし、売上はジワジワと下降曲線に入っていた。
・5年前=61歳。リストラ効果も出始めて、新潟駅前再開発事業も進み、何とか目安がたちホッとしていた。
[5]続きを読む
08月18日(月)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ
[4]エンピツに戻る