ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4903,閑話小題 ー自転車乗りは危険に満ちている!
当時、鼻風邪から慢性鼻炎になっていたが、特効薬が売り出すニュースを見ため。
それを5年ほど持ったが、期待ほどの値上がりはなかったが、それでも数割の値上になった。
 ところが、その種銭が人生を変えることになった。 二十歳の時、軽井沢のアルバイト先の山荘で、
学生仲間4人と話していた時のこと。 その中で外国に行く予定が無いのが私だけ。 他の三人は、
さほど豊かそうで無かったが、それでも行けるのである。要は意志であることを、その時に知った。
当時は、まだ年間20万人しか渡航してない時代。 私も決心をすれば行ける? との思いが
出てきた。その時、考えたのが、自分の種銭。 
 丁度、その頃、ある友人に『大学の、あるサークルの海外旅行研究会があって、
一ヶ月の欧州旅行の企画で参加者を募集しているが、一緒に行かないか』と誘われていた。
しかし、当時の私にとって、まさか自分がと、取り合わなかった。当時で40万、現在なら
300万〜350万。 その晩の軽井沢で『そうだ、私には20万円があった!
あと25〜30万、都合をつければ私でも行ける!」と、思い立った。アルバイト期間が終わって
向かったのは、東京の寮ではなく、実家のある長岡である。そこで列車の中で「頭の固い父に、
そのまま頼めば断られる、なら母親に相談すれば良い」と。で、母に相談すると『私が反対すると
必ず逆を言うから、夕飯時に、その話を切り出しなさい』と、賛同を得て、作戦を実行した。
父親は知ってか知らずか、この共同作戦に乗ってしまった。数日後に気づいたようだが、
後悔した様子はなかった。 その欧州旅行が、私の人生を変えてしまった。あの一ヶ月間の
経験のカルチャーショックで半年間は、ただ呆然自失状態。頭が変になる一歩手前。
当時は現在ほど情報も手軽に得ることが出来ない。それも決心して一ヶ月で、予備知識はゼロ。
それがわたしには良かった。見るもの触れるもの全てが新鮮で、驚きの連続。エッフェル塔や、
凱旋門、ローマのコロセウム、スイスアルプス・・ その中で、遊び慣れた今まで知らなかった
人種との接触。 何よりも小さな固定観念が粉々になったことが、タイミングとしてベストだった。
 まとまった種銭は、まずお金を資金に変えるという意味で、それ自身が準備になってしまう。
問題は用途のTPOSである。「夢を持つことと、長年の準備こそが、人生を決める」と、両親と、
学生時代の様々な経験から骨の髄から学んだことである。今回の最悪の事態でも、
長年かけた万一に備えていたシェルターが、我身を救ってくれた。
・・・・・・
4161, 節目時に何をしていたか ー1
2012年08月17日(金)
 ここで人生を5年スパンに区切り、振り返ってみる。ミニ自分史である。自分の姿が浮き上がってくるようで、
面白い。何度も書くが両親と時代に恵まれていたことが見て取れる。歴史的にみて、終戦後40年間ほど豊か
だった時期はないという。 その中で、その豊かさを充分味わった実感は、何ものにも代え難い財産である。   
  ー まずは前半から ー
・60年前=6歳、長岡市立阪之上小学校一年生だった。担任は女性の茨城先生。
20歳後半のヒステリックの先生で、優しい反面、厳しい先生だった。当時の住まいは長岡一番の
繁華街の4階建てのビルの3Fに住んでいた。家は、そこで衣料店を経営していて、まさに小説の
ような異様な家庭環境にあった。  成績は普通で、とにかく毎日が面白く刺激的だった。
・55年前=11歳、阪之上小学校6年。勉強に少し目覚め、虐めの要素もあったが級長にされていた。
  街中もあり、生徒の質は決して悪くはなかったが、異様な緊張した雰囲気が漂っていた。
  この辺で、その人の素質が決まってしまうという。
・50年前=長岡高校二年生で、試験試験の日々。何時もギリギリの成績だったが
  追試は受けたことがなかった。勉強をすれど、どうしたら成績が上るかの術が分からない辛く
  暗い日々。受験校のため成績で人間が区分される。
・45年前=21歳、立教大學三年。欧州の30日間旅行で、それまでの自分が粉々に

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08月17日(日)
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