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★予防と審美専門★【小林歯科クリニック】
by DIARY
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■今月の参禅−27
よく、「ものの本当の価値」などと一口に言いますけれども、ものの価値を見極めるのは、なかなか難しいことです。
それというのも、普段の私たちが「価値」と「値段」とを混同してしまっているから、ではないでしょうか。
テレビの人気番組に、視聴者が持ち込んだ品物を専門家が鑑定して値段をつける、というものがあります。
何のへんてつもない壷が実は大変な珍品で、持ち主もあっと驚く高値がつくこともあれば、反対に、自信満々で持ち込まれた書画が実は二束三文のにせものだったり…。
なかなかドラマチックで、見る者を飽きさせません。
けれども、この番組を見たあと、いつも不思議な思いにとらわれます。
どうして人は、売りたいわけでもないのに、自分の持ちものを値踏みしてほしがるのでしょうか。
気に入った皿や壷にどんな値段がつこうが、使い勝手や見た目が変わるわけではありません。
私が使う限り、その品物の価値は、値段に関係なく変わらないはずです。
なのに、どうして私たちは、値段をつけてほしいと思うのでしょうか。
値段がつくことで、私たちは何を求めているのでしょうか。
「価値」というのは本来、私個人とその品物の間だけの関係です。
私がどんな生活をしていて、どんな風にその品物に向き合っているか、そのありようをよくも悪くも、ものの「価値」というわけでしょう。
道元さまはこの関係を、「目の前の山も川も、心に他ならない」とおっしゃいました。
ものの価値は自分のありようであって、人の評価を受けるものではない、ということです。
しかし、「値段」は違います。
その数字に表されるのは、需要と供給。
いわば他人の評価や欲望のつりあう地点をさすのが値段なのですから、そこにははなから私のありようなど関係ありません。
してみると、その値段を知らないと安心できない私たちは、わざわざ他人の評価を自分の支えにしようとしているようなものです。
もっと言えば、わざわざ他人の欲望の中に巻き込まれよう、巻き込まれようとしているとも言えるのではないでしょうか。
中国の古い禅の書物の中に、この点を鋭く突いた問答があります。
「この世で一番価値があるのは何か」という問いに対して、なんと「猫の死骸」と答えているのです。
そのわけは、「誰も値段をつけないから」。
ひょっとすると私たちは、身のまわりのものに、本来ないはずの値段をつけることで、世界をかえって軽いものにしてしまってはいないでしょうか。
そして、気がつかないうちに自分自身をも軽いものにしてしまってはいないでしょうか。
一度よく考えてみる必要がありそうです。
by総持寺参禅寮
いやぁ、クリスマスが無い!?キャンパス内は、“初詣でモード”全開でしたよぉ♪
12月17日(木)
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