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On the Production
by 井口健二
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■ダイアナ・ヴリーランド、故郷よ、マーサあるいは…、タリウム少女の…、ももいろそらを、砂漠でサーモン…、しあわせカモン、立川談志
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※このページでは、試写で見せてもらった映画の中から、※
※僕が気に入った作品のみを紹介しています。なお、文中※
※物語に関る部分は伏せ字にしておきますので、読まれる※
※方は左クリックドラッグで反転してください。 ※
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『ダイアナ・ヴリーランド 伝説のファッショニスタ』
“Diana Vreeland: The Eye Has to Travel”
20世紀後半のファッション界をリードし続けたと言われる、
元ヴォーグ誌編集長ダイアナ・ヴリーランドの生涯を描いた
ドキュメンタリー。
1989年に他界した本人が生前受けたインタヴューを基に、孫
の嫁でありポロ・ラルフ・ローレンなどのPRディレクター
としても知られるリサ・インモルディーノ・ヴリーランドが
初監督で纏めた作品。
僕は、ファッションのことは全く明るくないので、本作につ
いても取り敢えず観るだけというつもりで試写会に行った。
ところが本作には、同時代の多岐に亙る映像などが豊富で、
20世紀のカルチャーを綴った作品として思いの外に楽しめる
ものだった。
そのダイアナは1903年のフランス・パリ生まれ。幼い頃から
ベル・エポックに浸って育った少女は、やがて一家と共にア
メリカに引越、さらに結婚してロンドンに移住。その頃から
ファッション界にも登場し、1936年ハーパース/バザー誌を
皮切りにファッション雑誌の編集に携わることになる。
しかも1963年ヴォーグ誌の編集長に就任してからは、経費に
糸目を付けない大胆な紙面づくりで、従来のファッション雑
誌の概念を打ち破り、カルチャーをも牽引する活躍を繰り広
げて行く。それはモデルとしてシェールを起用したり、ミッ
ク・ジャガーを最初に取り上げたのも彼女だったそうだ。
そして後年には、NYメトロポリタン美術館の顧問としても
多大な足跡を残すことになる。
そんな彼女の活躍ぶりが、インタヴューに答える彼女自身の
姿と関係者へのインタヴュー。さらに家族の写真や当時の記
録映像などと共に綴られて行く。その中には、彼女にモデル
として起用されたアンジェリカ・ヒューストンや、彼女のア
シスタントを勤めていたアリ・マグローなども登場する。
また、彼女をモデルにしたと言われる映画『パリの恋人』と
『ポリー・マグー お前は誰だ』のクリップや、さらにビー
トルズ主演の“A Hard Day's Night”や映画『祇園囃子』の
映像なども挿入されていた。
その他にも、思いも掛けない映像や人物が登場し、特に映画
ファンには納得して楽しめる映像作品というところだ。そし
てその中に彼女の偉大さも充分に描かれていた。
映画ファンなら観ておいて損はない作品と言えそうだ。
『故郷よ』“La terre outragée”
1986年4月26日、ソビエト連邦ウクライナのチェルノブイリ
で発生した原子力発電所事故を題材にしたドラマ作品。
物語は、その事故の当日と10年後の現地の様子を描き、事故
が人々に残した多大な傷跡を描いて行く。
その日、チェルノブイリの町では1組の結婚式が行われてい
た。その披露宴で「百万本のバラ」を熱唱する花嫁。しかし
その会場に「山火事」が発生したとの緊急報が入り、花婿は
花嫁の懇願も虚しく会場を後にする。そしてその花婿は戻ら
なかった。
一方、原子力発電所の技師だったアレクセイは報道に隠され
た意味を知って愕然とする。そして放射能検知器で周囲の異
常を確認する彼だったが、出来ることは傘を買って周囲の人
に配るだけだった。ただ妻と幼い息子だけには、チェルノブ
イリを脱出させることに成功するが。
それから10年後、花嫁はガイドとなって現地に留まり、外国
の調査団などを連れて立入禁止区域の中を案内していた。そ
こには危険を承知で留まっている住人が居たり、他国からの
難民が不法に暮らしていたりもする。
またアレクセイの妻と息子は、ようやく許された現地の訪問
に訪れる。そこには事故の日に植えたリンゴの木も立派に育
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11月18日(日)
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