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On the Production
by 井口健二
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■ディア・ウェンディ、ザ・コーポレーション、RIZE、三年身籠る、イントゥ・ザ・サン、変身、NOEL、ポビーとディンガン
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※このページでは、試写で見せてもらった映画の中から、※
※僕が気に入った作品のみを紹介しています。 ※
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『ディア・ウェンディ』“Dear Wendy”
『ドッグヴィル』のラース・フォン=トリアーが脚本を担当
したデンマーク映画。ただし台詞はすべて英語で、題名も英
語で表記されていたようだ。
町のほとんどの男は炭坑で働いている炭坑町。向かって左側
には採掘中の坑口があり、右には廃坑となった坑口が残され
ている。町はその2つの坑口に対向するように形成された広
場を中心に、わずかな商店が軒を並べているだけのものだ。
そして主人公は炭鉱夫の息子だが、父に連れていかれた地下
の炭坑に入って行くことができず、その後は商店で働いてい
るが、男としては負け犬と見なされる存在だ。しかし、玩具
として購入した小型銃が、実は本物と判ったときから徐々に
人生が変り始める。
主人公は平和主義者と自称し、銃の玩具が売られていること
自体にも嫌悪感を示していたのだが、やはり負け犬だが銃の
知識の豊富な友人と、廃坑の地下で銃を試射したときから自
信が付き始め、その自信は荒くれな坑夫たちとも対向できる
ものになって行く。
しかし彼自身は平和主義者であって、銃は外で撃ってはいけ
ないと誓っていた。そんな主人公が、やはり負け犬の町の若
者を集め、彼らもまた銃を撃つことで自信を深めて行く。そ
して彼自身も、シェリフから保護司を委託されるまでになっ
て行くのだが…
僕自身も平和主義者のつもりだから、この主人公の気持ちは
結構理解できる感じがした。僕自身も同じ状況になったら、
同じことをしてしまうのではないかという共感だ。幸い、日
本は銃のない国だから、この立場に追い込まれることはない
だろうが…
確かに映画は絵空事というか、普通では起こらないような部
分も多いが、主人公の心情に立ったときには…いや、主人公
の心情に関係なくこの状況に追い込まれて行く姿が、何か恐
ろしくも感じられた。
主人公は当初は自主性も何もなく、銃を持つことで自主性が
育まれたと感じているのかも知れないが、それも結局は周囲
の流れに押し流されていくだけの幻想でしかない。そんな自
主性のない現代の若者たちの姿を見事に写し出した作品にも
感じられた。
なお、撮影は軍用基地の中に建設されたオープンセットで行
われたようだが、その風景はセットの無かったドッグヴィル
にセットがあったらこんなだったのではないか、そんな風に
も感じられて面白かった。
『ザ・コーポレーション』“The Corporation”
“Just Words: Constitutional Rights and Social Wrong”
などの著作で、政治力の及ぶ限界を指摘し続けているカナダ
の論客ジョエル・ベイカンのアドヴァイスに基づいて製作さ
れたドキュメンタリー。
なおベイカンは、本作に描かれた内容を“The Corporation:
The Pathological Pursuit of Prifit and Pawer”の題名
で著作としても発表している。
アメリカでは奴隷解放を掲げた憲法の条文が、法律的な人格
である企業にも適用され、それによって企業活動が野放しに
なっている。その結果、搾取や公害の垂れ流しが横行し、そ
れは地球を破滅に追い込もうとしている。
このドキュメンタリーの主張は、そこに集約されると言って
いいだろう。その主張を検証するため、企業活動のもたらし
た悪行が様々な角度から描かれて行く。
それは、衣料品メーカーのK.L.ギフォードによるホンジ
ュラスでの労働搾取の問題であったり、ロイヤル・ダッチ・
シェルの公害問題であったり、モンサント社の牛成長ホルモ
ンに関する報道妨害の問題であったり、IBMとナチスとの
関係であったりする。
その一方で、世界各国で進められている公営企業の民営化が
もたらす弊害の問題が、ボリビアの水道事業に関して述べら
れたり、インドで古来使われてきたニームの木に関する米企
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10月30日(日)
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