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On the Production
by 井口健二
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■路上のソリスト、チャンドニー・チョーク、エンプティー・ブルー、ジャイブ、ヴィニシウス、テラー・トレイン、Sing for Darfur
バーチの前作は“Dark Corner”という2重人格物のホラー
作品で、本作の後にも締め切りに追われた女性脚本家が恐怖
体験に遭遇する“Deadline”という作品が待機中のようだ。
オスカー受賞作に出ていた女優が…という感じもするが、こ
れだけ立て続けというのは、それなりに本人も好きというこ
となのだろうか。
それに本作では、その背景にある真の目的というのがそれな
りに考えて作られている感じもした。因にこれは、車社会、
銃社会のアメリカでは供給も潤沢だが、そうでない国で同様
の需要が有ったら…というものだ。
脚本監督は、2007年にマーヴェルスタジオのアヴィ・アラド
が製作総指揮を務めた“The Killing Floor”という作品で
長編監督デビュー、本作が2作目というギデオン・ラフ。
ただし僕は、本作の脚本は認めるが、演出に関しては、肝心
の部分でフォーカスが合わなかったり、一緒に入浴している
はずの浴槽の水位が人物ごとに違っていたりで、多少詰めが
甘いように感じられた。次が有ったらもう少し注意してもら
いたいものだ。
なお、本作の撮影はブルガリアで行われたようだが、本作の
エンドクレジットでスタッフ名の最後がv若しくはvaで終る
人が沢山いるのが嬉しくなった。特にVFXなどはほとんど
がそうだったようで、このように現地のスタッフが起用され
るのも素晴らしいことだ。

『SING for DARFUR』“Sing for Darfur”
昨年の東京国際映画祭のコンペティション部門に出品された
作品。因に、映画祭では『ダルフールのために歌え』という
邦題だったが、当時は日本公開が未定だったために紹介を割
愛していた。その作品の日本公開が決ったものだ。
スペインのバルセロナで、内戦の続くスーダン・ダルフール
州支援のためのコンサートが開催される。その日1日のいろ
いろな人々の物語が、相互に繋がりを持ちながら点描のよう
に描かれて行く。
そこには、イギリスからコンサートを観るためにやってきた
若い女性や、彼女のバッグを奪うかっぱらいの少年、そのか
っぱらいの元締めの男、その使い走りをする若者…など、本
来は無関係だが、何故かその瞬間だけ繋がる人々が次々に登
場してくる。
そしてそこでは、コンサートのお陰でダルフールという地名
は口にされるものの、ほとんどは無関心と誤解や無知によっ
て本質とは異なる形で語られるものばかりだ。そんな物語が
その日1日を巡り巡って、深夜12時のある出来事で締め括ら
れる。
実は昨年の映画祭でこの作品を観たとき、僕はこのエンディ
ングのエピソードに感激し、この作品に芸術貢献賞が贈られ
なかったことを不満に思ったものだ。しかし今回作品を見直
していて、それより前の部分の余りにネガティヴなエピソー
ドの連続に驚いた。
確かにこのネガティヴさでは審査員が贈賞を躊躇うのも仕方
がなかったのかもしれない。しかしこの作品がダルフールと
いう特別な状況に呼応したものであると考えたとき、僕には
このネガティヴさがダルフールの現状を象徴しているように
も感じられた。
それはまるでパンドラの匣が開けられたときのように、あり
とあらゆる災厄がそこに展開されている。そんな物語の構成
のようにも感じられたのだ。そしてパンドラの匣の最後に希
望が残されていたように、本作も微かな希望を提示して終り
を迎える。
映画で政治問題を扱うときに、生のままの表現では反発を買
う可能性が大きい。そこでいろいろな手練手管でドラマ化を
して行くのだが、それも度が過ぎると元々の問題提起が消え
てしまうこともままある。
その点で言ってこの作品は、見事に問題の本質を描いている
ようにも思えた。
なお日本での公開を行うのは、2004年から“The World of
Golden Eggs”というアニメーションサイトを運営している
PLUS heads。今までの映画宣伝にない新規なプロモーション
が展開されそうだ。

03月29日(日)
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