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On the Production
by 井口健二
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■蜂蜜、処刑剣、愛の勝利を、プッチーニの愛人、マイ・バック・ページ、4月の涙、黄色い星の子供たち+ニュース
ドーリア。ところが、それから数日して夫人の態度が急変す
る。そしてこと在るごとにドーリアを叱責し始めた夫人は、
ついに彼女に実家軟禁まで命じてしまう。
この事態にはプッチーニも心を痛めるが、歌劇『西部の娘』
の創作に追われる作曲家にはどうすることもできない。それ
でも作曲家の指示でドーリアの軟禁は解かれるが、外出を目
撃した夫人はドーリアを人前で罵倒し、そのため彼女は服毒
に至る。
『ラ・ボエーム』『蝶々夫人』などでも知られるプッチーニ
には、その作曲した歌劇ごとに愛した女性がいたとも言われ
ているそうだ。しかし『西部の娘』にはそれに相当する女性
が見当たらず謎とされている。
それならドーリアがそれに当るかというと、彼女とオペラの
ヒロインには明らかな相違点が在る。ではそのモデルは一体
誰だったのか。本作はそのような点にまで回答を与える作品
になっている。
脚本・監督のパオロ・ベンヴェヌーティは、イタリアでも孤
高の映画作家と呼ばれているそうで、本作は彼の長編6作目
の作品だが、映画祭などでの上映を除くと日本では初紹介に
なるとのことだ。
そんな監督は、元はドキュメンタリーの出身で、常に徹底的
な調査に基づいて作品を作り上げているとのこと。本作も、
監督が主宰する映画学校の生徒たちの協力も得て、トッレ・
デル・ラーゴでの現地調査なども踏まえて創作されている。
それはもちろんフィクションではあるが、かなり説得力の在
る物語が描かれている。
なお映画は、手紙の朗読などを除いてほとんどの台詞が排さ
れ、ほぼ演技だけで展開される構成。最近では今年1月紹介
『四つのいのち』などもあるが、劇映画ではその特異さも注
目される作品と言える。
出演は、指揮者・作曲家として著名なリッカルド・ジョシュ
ア・モレッティがプッチーニ役を演じており、その他も映画
ではほとんど無名の俳優たちが演じているようだ。湖畔の居
酒屋など、トッレ・デル・ラーゴの風景も美しく描かれた作
品だ。
『マイ・バック・ページ』
1971年に発生した朝霞自衛官殺害事件について当事者の1人
である元朝日ジャーナル記者・川本三郎が1988年に発表した
著作を映画化した作品。
1969年1月の東大安田講堂陥落の後、1人の若者が荒れ果て
た安田講堂に侵入するところから映画は始まる。その後、若
者は別の大学のセミナーと思しき場所でアジテーションを行
うが孤立してしまう。それでも若者は少数の同志と共に活動
を続けて行く。
一方、安田講堂陥落を外から見詰めていた主人公は、進歩的
な週刊誌を発行する新聞社に入社。しかし彼はその週刊誌で
はなく、より大衆的な雑誌の編集部への配属となり、東京の
風俗レポートなどを取材させられていた。そんな彼に左翼系
の記者が声を掛ける。
そして、その記者の手引きで逃亡中の全学連委員長の移動に
関与したりする内、主人公は真岡猟銃店襲撃事件の犯人と名
告る若者に接触、徐々にその若者との関係を深めて行くこと
になるが…
映画の中では「朝日新聞」の社名は変更されており、従って
「アカイアカイ、アサヒアサヒ」が変えられていたのは興醒
めだったが、その他の1970年代当時の雰囲気はそれなりに良
く描写されていたように思える。
それはそれなりにノスタルジックなものであり、正にその時
代を過ごしてきた自分にとっては、えも言われぬ感覚の漂う
ものだった。
ただし物語は、飽く迄も川本の言い分に基づいて描かれてい
るもので、事件の顛末が正しく描かれているのかどうか…。
それにしてもこの顛末は、ジャーナリストとしてはかなり恥
ずかしいもののはずだが、よくぞこれで発表したとも思える
ものだ。
なお映画では、「朝日」以外にも「朝霞」が「朝霧」など、
いろいろ変えられているが、中で「赤衛軍」が「赤報軍」に
なっていたのには、一瞬「赤報隊」を思い出してぞっとして
しまった。これは意図的なのだろうか。
出演は、妻夫木聡、松山ケンイチ。他には、2010年6月紹介
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03月27日(日)
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