ID:47402
ATFの戦争映画観戦記
by ATF
[455587hit]

■【File106】マカロニ戦線異状アリ・・・珍説イタリア戦争映画史《傾向と対策B》
字数の関係で前置き、後書は省略・・・さっそく行って見ましょう。それでは【開演ブザー】毎度毎度でくどいですが、携帯電話の電源はお切り下さい【今回も、また資料的価値は全く≠りません】

【イタリア映画の興隆と衰退】
1893年、発明王エジソンが「キネトスコープ」を発明し映画の起源となった。その2年後、フランスの写真技術者リュミエール兄弟が投射式映写装置「シネマトグラフ」を開発しパリのカフェにおいて興行を行った。1896年ニューヨークにおいて、エジソンが「キネトスコープ」を改良した「バイタスコープ」による初の興行を成功され、ここに本格的な映画興行の歴史が始まった。最初の映画は、ただ風景を撮影しただけのノンフィクションな短編作品であったが、その後ストーリーを持った長編作品が製作される様になる。1900年代になると、ヨーロッパ各国において映画製作・興行会社やスタジオが設立され、また映画製作の分業化(脚本・演出・編集・音響・装置等)が確立、映画産業は急激に拡大され、庶民の娯楽としての地位を確立される。また映画スターが生まれ、国際的な人気スターが生まれて行く。1911年、米国カリフォルニア州ロサンゼルス郡を中心に、米国の主要映画製作会社が撮影所を建設・・・年間を通じて明るい陽光の降り注ぐ天候条件が、映画撮影に持って来いだった・・・ハリウッドの誕生である。1914年ヨーロッパにおいて第一次世界大戦が勃発・・・ヨーロッパ各国は戦争に国力を割かれ、また主戦場となり映画どころではなくなり、米国ハリウッド製の映画が進出し勢力を拡大する事となる(1920年代には年間700本以上の作品が製作される様になり世界の映画市場を独占する程になる)。さてイタリアにおいては、1902年に初の映画製作会社チネス社が設立され、本格的な映画製作が始まる。1908年にはアンブロオ社が製作したスペクタクル大作「ポンペイ最後の日」が世界的大ヒット作となる。1911年になると「クオ・ヴァディス」「トロイ戦争」「スパルタカス」等の歴史大作映画が大流行。1913年にはイタラ・フィルム社が、トリノの撮影所で豪華なセットや奇想天外なストーリー、精巧なミニチュアによる特撮などの新技術を多用した2時間超大作活劇作品「カビリア(紀元前3世紀に起こったカルタゴ戦争を題材とした)」を製作し、また「クオ・ヴァディス」が米国でニューヨークで公開され大ヒット・・・1916年に製作されたD・W・グリフィスの「イントレランス」等ハリウッド作品に多大な影響を与えスペクタクル≠ニいう映画ジャンルを確立する。しかし第一次大戦後の自国映画興行の衰退と米国ハリウッド映画の進出、そして世界恐慌の影響による映画製作会社の倒産が相次ぎ、1920年代後半には製作される作品数が減少の一途を辿るのである。

【イタリア人の為の、イタリア人による、イタリア人の映画】

[5]続きを読む

04月03日(土)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る