ID:47402
ATFの戦争映画観戦記
by ATF
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■【File106】マカロニ戦線異状アリ・・・珍説イタリア戦争映画史《傾向と対策B》
1985年、第一回東京国際映画祭の審査員として来日したベルトリッチは「イタリア映画は瀕死の状態だ」と発言し物議を醸した。事実1980年代に日本で公開されたイタリア映画は1970年代初頭に公開されたソレに対して三分の一に減少した。イタリアの映画人口は1970年代前半には5億人だったが、1985年には1億2千万人に激減した。その主な原因はテレビの普及・・・常時何百ものチャンネルで番組が放送されており、テレビ言語世代が台頭して来た事が考えられる。その様な中にあって映画界は作品製作続行に躍起になり、海外との合作(仏・西独等)推進、イタリア国営放送(RAI)の映画製作進出(資本参加)が進められた。また才能ある若手やベテラン監督たちが精力的に活動を続けおり、映画史上に残る多くの作品を産み出した。若手ではマッシモ・トロイージ、ナンニ・モレッティ、マウリッツオ・ニケッティ、カルロ・ヴェルドーネ、ロベルト・ベニーニ、ピーター・デル・モンテ、サルヴァトーレ・ピシチェッリ、ジョゼッペ・ベルトルッチ、ジャンニ・アメリオ等である。ベテランではリリアーナ・カヴァーニの「皮膚(1981)」「ベルリン・アフェア(1985)」マルコ・ベロッキオの「両目に口(1981)」「肉体の悪魔(1986)」ベルナルド・ベルトリッチの「滑稽な男の悲劇(1981)」「ラストエンペラー(1987)」ブービ・アヴァーティの「追憶の旅(1983)」「いつか見た風景(1989)」エットレ・スコーラの「パッション・ダモーレ(1980)」「ヴァレンヌの森(1982)」「ル・バル(1984)」「マカロニ(1985)」リーナ・ヴェルトミュラーの「女と路地と陰謀と(1985)」「流されて2(1987)」エルマルノ・オルミの「歩く歩く(1983)」「聖なる酔っぱらいの伝説(1988)」タヴィアーニ兄弟は「サン・ロレンツォの夜(1982)」「カオス・シチリア物語(1984)」「グッドモーニング・バビロン!(1987)」マルコ・フェレーリの「ありきたりな狂気の物語(1981)」「ピエラ愛の遍歴(1983)」ティント・ブラスは「鍵(1984)」「ミランダ(1985)」更に映画界の長老監督たちも意欲的に活動している。アントニオーニの「ある女の存在証明(1982)」フェリーニの「女の都(1980)」「そして船は行く(1983)」「インテルビスタ(1987)」ロージの「三人兄弟(1980)」「カルメン(1983)」「予告された殺人の記録(1987)」等が上げられる。また多くの新人監督たちがデビューしたのも1980年代の特徴と言える。マルコ・リージ、ガブリエーレ・サルヴァトレス、フランチェスカ・コメンチーニ、フランチェスコ・ヌーティ、カルロ・マッツァクラーティ、ジュゼッペ・ピッチョーニ、ダニエーレ・ルケッティ、リッキー・トニャッツィ、フィオレッラ・インファシェッリ、フランチェスカ・アルキブージ、クリスティーナ・コメンチーニ、そして「教授と呼ばれた男(1986)」「ニュー・シネマ・パラダイス(1988)」のジョゼッペ・トルナトーレ等が上げられる。
【1990年代】

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04月03日(土)
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