ID:47402
ATFの戦争映画観戦記
by ATF
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■【File123】スペイン内戦勃発70周年・・・誰がために鐘は鳴るなり豆戦車A
女闘士ピラール役には、ギリシャ出身で当時ロンドンの舞台で活躍していたカティーナ・パクシノウが起用されますが、出演の為に英国から米国に向かう途中、乗船が独Uボートに攻撃され、18個もの衣装ケースに詰められた多くの衣装が海の藻屑となりました。パクシノウは撮影助手カメラマンとしてもクレジットされています。
■秘話C
撮影はスペインの山地に似ているカリフォルニア州北部シエラ・ネバダ山脈で、1941年7月2日から開始されました。平均標高が2550〜2850mと空気は薄く、11月を過ぎると温度が氷点下の吹雪の中で余りの寒さに撮影機材が凍って動かなくなったり、監督やスタッフが危うく凍死しそうになったりする中で撮影は続けられます。ところが主演女優のゾリーナは、撮影中にバレリーナの命である脚を痛める事を心配し演技への集中が出来なくなり、監督とパラマウント社は協議の結果、彼女の降板を決定します。既に役作りの為に髪を短く切っていた彼女は、パラマウント社を告訴すると騒ぎますが、結局示談で解決。彼女には別の映画への出演が約束されました。
■秘話D
ヴェラ・ゾリーナの降板後、マリア役の為なら喜んで髪を切ると言っていたバーグマンへ再び白羽の矢が立つ事に・・・結局莫大な出演許諾料が払われました。ゾリーナで既に撮影済みだったシーンは、改めてバーグマンによって全て撮り直されました。
■秘話E
叛乱軍爆撃機の空襲シーンの撮影は1941年12月7日に行われ、スタッフと出演者は極寒の山頂で待機していました。ところがいつまで経っても爆撃機が現れない・・・そうこの日は真珠湾が日本軍に攻撃された日で、アメリカ全土は厳戒態勢下にあり軍用機以外の飛行が禁止されていました。そんな訳で、結局この日の撮影は中止されました。
■秘話F
最終的に当時の金額で300万ドルもの巨費が投じられた『誰がために鐘は鳴る』は、クーパーとバーグマンの初共演も話題を呼び、その年の全米興行成績第2位を記録、世界的にも大ヒットして、アメリカではヒロインの髪型を模したマリア・カットが大流行。第12回アカデミー賞では作品賞を含む9部門にノミネートされ、パクシノウが助演女優賞を受賞しました。ヘミングウェイ自身は、バーグマンは小説のマリアのイメージそのものだと絶賛していましたが、映画自体は政治的な表現が曖昧となっており、お気に入りの場面も殆んどカットされていた為、大変不満だったそうです。事実小説の中で重要な登場人物である叛乱軍のベルレント中尉は、映画では登場していません。
■秘話G
バーグマンは『誰がために鐘は鳴る』への出演オファーが来た時、『カサブランカ(1942)』の撮影中だったのですが、『誰がために鐘は鳴る』出演の事で頭の中が一杯になって気も漫ろだったとか。バーグマンの代表作のひとつと評される『カサブランカ』ですが、彼女自身は年間に50本くらい大量に製作されていた大衆向娯楽映画の一本くらいにしか思っていなかったそうで、それが偶然大ヒットしただけって事らしいですな。劇中で彼女が唄い映画音楽の名曲と評される『アズ・タイム・ゴーズ・バイ』という曲ですが、撮影後に他のもっと良いと思われた曲と差し替える事になったのですが、その時既にバーグマンは『誰がために鐘は鳴る』出演の為に髪を切っており、もう撮影出来ないと言う事で仕方なくそのままになったらしいです。
■秘話I
原作・映画共通のタイトルである『誰がために鐘は鳴る』ですが、これは英国の詩人ジョン・ダン(John Donne/1572〜1631)の『Devotions upon Emergent Occasions』と言う非常に長い詩の一節から引用されています。
No man is an island, entire of itself;
なんぴとも一島嶼にてはあらず
every man is a piece of the continent, a part of the main.
なんぴともみずからにして全きはなし ひとはみな大陸の一塊 本土のひとひら
If a clod be washed away by the sea, Europe is the less,
そのひとひらの土塊を 波のきたりて洗いゆけば 洗われしだけ欧州の土の失せるは
as well as if a promontory were,
さながらに岬の失せるなり
as well as if a manor of thy friend's or of thine own were:
汝が友だちや汝みずからの荘園の失せるなり
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07月18日(火)
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