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ATFの戦争映画観戦記
by ATF
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■【File122】スペイン内戦勃発70周年・・・誰がために鐘は鳴るなり豆戦車@
しかし何と言ってもマーモン・ヘリントン社製の装甲車両で、戦車ファンの間でも最も良く知られているのは、敵占領下後方に降下・強襲を行う空挺部隊の支援用として開発されたM22空挺戦車(Locust/いなご)ではないでしょうか。米軍では1941年に空挺部隊に随伴できる新型戦車の開発を決定。この要求案に対し大手自動車メーカー3社が試作案を提示した結果、マーモン・ヘリントン社案が採用、試作車両は「T9型」と命名されます。武装はM3軽戦車系列と同じ37mm戦車砲Mk.6を採用。主砲同軸に30口径機銃1挺を装備。全長3.93mX全高1.75mX全幅2.23mで総重量は7.3tとコンパクトな仕上がり。ライカミング社製空冷6気筒(162馬力)ガソリンエンジンを搭載し、最高速度は56.3km/時。航続距離は180kmでした。砲塔は鋳造式で車体は圧延鋼板の溶接式装甲、最高装甲厚は前面で25mmでした。しかし当時の連合軍には、この車両を搭載できる輸送機が存在せず、航空機に搭載するという要求はクリア出来ませんでしたが、この車両に目をつけた英軍からの要求で改良が行われ、最終的には砲塔を取り外し、車体を輸送機の機体下に吊り下げて空輸する方式が採用され、また更なる車体軽量化の為に予備機銃、砲塔の電動式旋回装置、ジャイロ・スタビライザー等が取り外されました。しかし脱着式砲塔にした事で、着陸後に別途輸送機から砲塔一式を降ろして取り付ける手間が生じ、これによって空挺部隊の持つ奇襲性が発揮出来なくなりました。米軍からは、試作中の1942年4月に早くも500両の量産命令が出され、更に試作車両の性能試験結果が良好だった為、新たに1400両が追加発注されました。しかし1944年2月、830両が完成した段階で生産は打ち切られます。結局本車輌がM22戦車として正式採用されるのは生産が打ち切られた後の1944年9月の事でした。その後280両が英軍に送られ「ローカスト(いなご)」の愛称で呼ばれます。英軍は大型グライダーGAL49ハミルカーを保有していた為、1945年3月に実施されたライン川渡河作戦時に、英軍第6空挺師団所属の12両が実戦に参加しますが、独軍の抵抗が殆んど無く活躍の場を得る事は出来ませんでした。結局それ以降実戦に参加する事なく終戦を迎え、戦後は一部が訓練用として短期間使用されただけで退役。英軍所属の一部車両が中東に渡り1948年に勃発した第一次中東戦争で使用されたらしいですが、定かではありません。全くそこそこ有名な割には全く恵まれない戦車ですな。
※乗員やM4戦車の大きさと比べて、日本軍の戦車並みに車体の小さな戦車なのが良く解ります

さてマーモン・ヘリントン社製豆戦車のお話は如何でしたでしょうか・・・マーモン・ヘリントンと聞いてピンと来た貴方・・・そうです、前回の観戦記で紹介した血戦戦車4号≠フ改造母体となった車体がマーモン・ヘリントン社製の豆戦車でしたね。そこで次回は『血戦奇襲部隊』以外にマーモン・ヘリントン社製の豆戦車が大活躍する、あの作品・・・もうバレてるって!・・・をじっくり堪能していただきます。それでは次回もお楽しみに・・・そうそう今年の7月18日で、スペイン内戦勃発70周年なんですよ!【続く】

07月17日(月)
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