ID:47402
ATFの戦争映画観戦記
by ATF
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■【File106】マカロニ戦線異状アリ・・・珍説イタリア戦争映画史《傾向と対策B》
1960年代後半から1970年代にかけて政情不安と経済インフレが進行し、イタリア社会情勢は悪化の一途を辿る。そんな中1974年にデ・シーカとジェルミが、1975年にパゾリーニが、1976年にヴィスコンティが、1977年にはロッセリーニが相次いで死去、映画界は大きなダメージを受ける。中でもヴィスコンティは晩年「地獄に墜ちた勇者ども(1969)」「ベニスに死す(1971)」「ルードヴィヒ(1972)」(以上ドイツ三部作)その後、病を経て「家族の肖像(1974)」を製作、爛熟した美の世界≠描きイタリア映画界を牽引する・・・が「イノセント(1976)」が遺作となった。もう一方の牽引役フェリーニは「フェリーニのローマ(1972)」「アマルコルド(1973)」「カサノバ(1976)」といった多様な作風な大作を続けて発表した。1970年代にはヨーロッパ映画と米映画との違いが目立ち始めた。ヴィスコンティとフェリーニの二大巨匠を中心にしたイタリア人監督たちは、完全に自由な作風を尊び美しさと感動を求め、フランス映画の「ヌーベルバーグ」と並んでヨーロッパ映画界をリード、チャップリンやオーソン・ウェルズ等に代表された自由な映画人が消え、資本主義的商業戦略によって完全に組織化されたショービジネス≠ニなってしまった米国ハリウッド映画界に対抗したが、次第に巨大な資本に裏付けされたハリウッド映画に圧迫されて行く。しかし数多くの作品が海外で評価を受ける。エリオ・ペトリの「殺人捜査(1970)」ダミアーノ・ダミアーニの「警視の告白(1971)」ジュリアーノ・モンタルドの「死刑台のメロディ(1970)」タヴィアーニ兄弟の「父パードレ・パドローネ(1977)」エルマルノ・オルミの「木靴の樹(1978)」ベルナルド・ベルトリッチの「ラストタンゴ・イン・パリ(1972)」「1900年(1976)」また女流監督のリーナ・ヴェルトミュラーの「流されて・・・(1974)」「セブン・ビューティーズ(1975)」とリリアーナ・カヴァーニの「愛の嵐(1974)」等である。また1970年代は多彩なイタリア人監督たちの個性が開花した時期でもあった・・・マルコ・フェレーリの「最後の晩餐(1974)」「最後の女(1976)」エットレ・スコーラの「あんなに愛しあったのに(1974)」「特別な一日(1977)」マルコ・ベロッキオの「父の名において(1971)」「凱旋行進(1976)」マウロ・ボロニーニの「わが青春のフロレンス(1970)」フランコ・ゼッフィレッリの「ブラザー・サン シスター・ムーン(1972)」ダリオ・アルジェントの「歓びの毒牙(1970)」「サスペリア(1976)」等である。
【1980年代】

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04月03日(土)
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