ID:47402
ATFの戦争映画観戦記
by ATF
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■【File084】漆黒の大陸・・・多勢に無勢【後編】
英国国民の中で高まるゴードン人気を無視出来ず、遂にウォルズレイ将軍率いる12000名の救援軍派遣が決定されます。しかしこの救援部隊は安全かつ早いナイル川遡行ではなく、徒歩による砂漠横断のルートを選び、途中マハディー派の攻撃に遭遇したりした為カーツーム到着は大幅に遅れ、マハディー派のカーツーム包囲から10ケ月経った、カーツーム陥落(1885年1月26日)の2日後の事でした。マハディー派はナイル川の水位が最も下がる時期を狙い、総攻撃を敢行・・・武器弾薬食料の尽きたカーツーム市街に一挙に雪崩れ込み・・・ゴードンは自ら剣を握り、総督府に突入してきたマハディー派兵士の前に立ちはだかりますが、次の瞬間一人のマハディー派兵士が突き出した槍に胸を貫かれ、その生涯を閉じました・・・このシーンは劇中で最もチャールトン・ヘストン迫真の場面です・・・マハディーの前に運ばれて来たゴードンの遺体は切り刻まれ、首を切断され、槍に突き刺されて晒されます・・・ゴードンの遺体がココまで辱められたのは、一説に彼が同性愛者であり、マハディーがそれを異常に嫌悪した為と言われています・・・救援部隊がカーツームに入城した時、市内には守備隊兵士の遺体が散乱していました。また救援部隊も安全では無く、マハディー派部隊の更なる攻撃が予測された為、部隊及び生き残った守備隊兵士は1885年末までにスーダンより撤退して行きます・・・という事で映画で描かれていたのはココまで!!劇中マハディーを演じたのは英国を代表する俳優でナイト≠フ称号を持つサー・ローレンス・オリビエ。全くの悪人って風ではなく、思慮深い聖人風なマハディーを演じておりました。しかし救援要請の為、ナイル川を下っていったゴードンの副官スチュアート大佐(リチャード・ジョンソン/戦雲1959)の首を切り落として、お忍びで会見にやって来たゴードンに見せつけるシーンには、ちょっとゾ〜ッとさせられました・・・が。この作品における他の見せ場としては過去の観戦記でも書いた騎兵による戦闘シーンや、珍しい武器が登場する攻城戦のシーンなどですか・・・そうそう史実では、カーツーム陥落から半年を経ずしてマハディーは病死し、その後継者となったアブダラヒ・イブン・ムハマンドがマハディー回教国を建国、エチオピアやエジプトに侵攻し勢力を伸ばします。しかし1896年9月2日カーツーム前面のオムドゥルマンにおいて英国エジプト方面軍総司令官キッチナー将軍に率いられた26000名(最新式ライフル銃、機関銃、大砲装備)の討伐部隊を2倍(52000名)の兵力で迎え撃ったのですが、旧式な装備では英国軍に全く歯が立たず、戦闘開始半日を経ずして壊滅、22000名もの死傷者を出し敗退します。1899年11月抵抗を続けていたアブダラヒが戦死しマハディー回教国は遂に滅亡するのでした・・・諸行無常、盛者必衰の理を顕す・・・。

さて、今回の観戦記如何でしたでしょうか・・・映画を観ただけではよく解らない歴史の背景・・・余り歴史の教科書では教わらない部分を中心に書いて見たました。この辺の歴史を理解して観直せば、別の面からこれらの映画が楽しめると思うんですよ・・・ね!それでは・・・【続く】
【補足】20030423・・・「ズール戦争」の記述について一部修正

04月20日(日)
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