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ATFの戦争映画観戦記
by ATF
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■【File122】スペイン内戦勃発70周年・・・誰がために鐘は鳴るなり豆戦車@
1930年代に世界各国で第二世代戦車の開発が進む中、米国においても軍や民間各社において様々な装甲戦闘車両の試作・開発が進みます。米軍の豆戦車と言うと、まず思い浮かぶのがフォード社が開発した3d戦車ってのがありますが、この豆戦車は余り実用性が無かった様です。当時既に自動車社会であった米国では多くの自動車製造会社が存在しておりました。そのひとつにマーモン・ヘリントン社(Marmon-Herrington Company)があります。マーモン・ヘリントン社は、現在では乗用車や装甲車両の他に大型のトラックやバス、自動二輪車の製造で知られています。マーモン・ヘリントン社では、1935〜1942年の期間に米軍のみならず海外向けの様々な型式の商業用軽装甲車両が開発・製造されました。米軍内での車両は一部が海兵隊に採用されただけで、他の殆んどが様々な国々に輸出されたので、戦車ファンでも余程のマニアにしか知られていないと思われます。MH-CTL(Marmon-Herrington Combat Tank Light)として知られている初期のシリーズは、旋回砲塔を持たず、上部構造を高くして機銃を取り付けていました。 海兵隊はこれらMH-CTL系列の戦闘車両開発に資金を供給し、導入を推進した海兵隊少将ハロルドベティ<Xタークにちなんで、これらMH-CTL系列の戦闘車両をBetties≠フ愛称で呼んでいました。初期のモデルは、独特のリーフ・スプリング・サスペンションと強化ゴム製履帯を採用していましたが、1938〜1939に開発されたCTL-3M型からは独特な板バネ型の懸架装置が採用されました。またCTL-6型からは特殊鉄鋼マンガン製の履帯が採用されています。1940〜1941年には海兵隊からの需要に応える為、小型砲塔を搭載した最初のモデルCTM-3TBDが開発・生産されています。この車両は小型砲塔に50口径機銃2挺、また車体前部には30口径機銃3挺が装備された3名乗りの軽装甲車両でした。海外向け車両としては、オランダ領インドネシア駐留の蘭印軍から628両の発注がありましたが、全車両の納入が完了する前に蘭印軍が日本軍に降伏した為、残った車両は他のオランダ系植民地の部隊に納入されました。第二次大戦中におけるマーモン・ヘリントン社製の軍用車両としては前述の豆戦車たちよりも、実は英軍で使用された装輪装甲自動車が良く知られている様です。英軍にはハンバー、ダイムラー、ガイ等多数の装輪装甲自動車が装備されていましたが、数多くのマーモン・ヘリントン社製装輪装甲自動車も、北アフリカ戦線から欧州戦線まで幅広く活躍し、現在でも軍用や警察用の装輪装甲自動車が開発・製造されています。また米軍初の正式装備ハーフトラックであるM2兵員輸送・火砲牽引型ハーフトラックの車体の母体となった試作T9ハーフトラックも、マーモン・ヘリントン社において試作されました。
【工業大国アメリカの戦車開発史補説A・・・最も有名なマーモン・ヘリントン製戦車】
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07月17日(月)
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