ID:47402
ATFの戦争映画観戦記
by ATF
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■【File113】西部戦線異状なし・・・新高山登レ一二○八【遂に本編突入か?編】
●(;^_^)σレマルクが断った主人公ポール役には、新人俳優リュー・エアーズ(Lew Ayres/1908/12/28〜1996/12/31)が抜擢され、彼の仲間である若き志願兵役にも19歳から22歳の無名の若手俳優が選ばれた。リュー(ルイス)・エアーズは、1908年ミネソタ州ミネアポリスに生まれた。アリゾナ大学で薬学を専攻。ピアノが得意で楽団で演奏活動中に認められて俳優となる。1929年にはジャック・フェデー監督作品『接吻』でグレダ・ガルボと共演した。1930年『西部戦線異状なし』の大ヒットにより、当時22歳で端正な顔立ちと目の表情が印象的な俳優だったエアーズは、一躍ハリウッドの人気スターの仲間入りを果した。その後「鉄青年(1931)」「麗はしの巴里(1935)」「素晴らしき休日(1938)」等に出演するも演技力や作品に恵まれず、次第に人気は薄れB級スターとして俳優活動を続けていた。第二次世界大戦が勃発した1941年には良心的戦闘参加拒否を宣言。当時の世論は、彼の行為を非難した為に一時映画界を去り、強制労働キャンプに収容された。その後入隊するが非戦闘員の看護兵として従事した。その後は宗教の研究等にも勤しんだが、1970年代にはテレビ映画の「刑事コロンボ/愛情の計算(1973)」や「オーメン2/ダミアン(1978)」「宇宙空母ギャラクティカ(1978)」「死霊伝説(1979)」等に出演し、1980年代まで映画やテレビドラマで活動していた。1933年に人気女優ジンジャー・ロジャースと結婚したが、1941年に離婚した。

●(;^_^)σ最初、主人公ポールの母親役は有名喜劇女優ザス・ピッツであったが、完成後の披露試写会においてザス・ピッツが登場すると、彼女に対してコメディエンヌの印象を強く持っていた当時の観客たちは、途端に笑い出してしまった。これでは折角の感動的シーンが台無しなので、製作者のカール・レムリ・ジュニアの指示により母親役はベリル・マーサーに変更され、母親の登場シーン全てが撮り直された。しかし欧州公開用には既に初版プリント版が送られた後であったので、欧州公開版ではザス・ピッツが母親役を演じていた。

●(;^_^)σ『西部戦線異状なし』公開時の1930年当時は、トーキー映画が上映可能な映画館が世界的に少なかったので、トーキー版とは別にサイレント版も製作されていた・・・日本ではトーキー版で公開。しかし米国以外の幾つかの国では、その公開を巡って問題が起こっており、ポーランドでは親ドイツ的だという理由から、またドイツではその逆に反ドイツ的と言う理由で左派対右派が衝突し流血騒動が起き、遂には上映が禁止された。しかし公開された国々では多大な評価を得て、その年の興行収入トップ10に入る大ヒットを記録、第3回アカデミー賞では4部門にノミネートされ作品賞と監督賞の2部門のオスカーに輝いた。

●(;^_^)σ日本では、軍国主義化が進み軍部が力を強めていた1930年10月30日に封切られた。日本で翻訳版小説が発表された当時も、その生々しい戦闘描写やフランス兵殺害場面、主人公の反戦的な言動等がことごとくカットされ、また訳者である秦豊吉氏が赤坂の憲兵隊本部に呼び出され、映画の日本初公開時には検閲によってフィルム700m(約15%)がカットされた短縮版が公開された・・・結局完全版が公開されたのは、戦後20年経った1965年だった。また初公開日には、観客の長蛇の列が出来ていたが、その横では憲兵が目を光らせていたという。一説によれば、劇場公開版のラストシーンには、独軍の司令部参謀が日誌にIm Westen nichts Neues≠ニ記入するシーンがあるらしい。

●(;^_^)σレマルクの作品では、1948年に『凱旋門』がマイルストン監督によって映画化されたが、この作品は恋愛ドラマ色強く演出されている。また1958年には、第二次大戦下の若きドイツ軍兵士を主人公として、その愛と死を描いた『愛する時と死する時(原題:A Time to Love and A Time to Die)』が、ダグラス・サーク監督によって映画化された。東部戦線とドイツ国内を舞台とした総ての場面は、西ドイツでドイツ側のスタッフとキャストによって撮影された。『西部戦線異状なし』製作時には主人公役を断ったレマルクだが、この『愛する時と死する時』では、ユダヤ人の逃亡を助けゲシュタポにマークされている、主人公の恩師ポールマン教授役を快く引き受けている。


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12月08日(木)
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