ID:47402
ATFの戦争映画観戦記
by ATF
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■【File106】マカロニ戦線異状アリ・・・珍説イタリア戦争映画史《傾向と対策B》
1960年代前半イタリアの経済成長はピークを迎え、それに比例して映画大国として揺ぎ無い地位を得る。映画界はネオ・リアリズモの回帰を目指し、ロッセリーニは「ロベレ将軍(1959)」「ローマで夜だった(1960)」デ・シーカは「二人の女(1960)」ヴィスコンティは「若者のすべて(1960)」を発表し興行的に大ヒットする。その他にナンニ・ロイの「祖国は誰れのものぞ(1962)」マリオ・モニチェッリの「戦争(1959)」「明日に生きる(1963)」リッツァーニの「汚れた英雄(1960)」「ヴェローナ裁判(1963)」ジッロ・ポンテコルヴォの「ゼロ地帯(1960)」プロレスターノ・ヴァンチーノの「残酷な夜(1960)」等が発表され、いずれも興行的に成功した。しかし、これらネオ・リアリズモへの回帰は一時的なモノに終わり、代わってフランスのニーヴェル・ヴァーグの影響を受けた新たな動きが登場する。フェリーニは「甘い生活(1960)」「81/2(1963)」「魂のジュリエッタ(1965)」「サテリコン(1969)」を発表し、後の映画監督たちに大きな影響を与えた。またアントニオーニは「情事(1960)」「夜(1961)」「太陽はひとりぼっち(1962)」で経済成長下ブルジョワ社会を背景にした孤独や不安、愛の不毛を描き、後にイタリアを離れ「欲望(1966)」「砂丘(1969)」を発表し国際的な評価を得る。これらの影響を受け、ロッセリーニは商業映画からテレビ映画へと転向。デ・シーカは「昨日・今日・明日(1963)」「悲しみの青春(1970)」でアカデミーを受賞。晩年には「ひまわり(1969)」を発表した。ヴィスコンティは「山猫(1963)」でカンヌ映画祭グランプリを、「熊座の淡き星影(1965)」でヴェネツィア映画祭グランプリを受賞し独自の美学世界を確立する。ジェルミは「イタリア式離婚狂想曲(1961)」「誘惑されて棄てられて(1964)」の社会的風刺喜劇で成功する。またピエル・パオロ・パゾリーニは「アッカトーネ(1961)」「マンマ・ローマ(1962)」「奇跡の丘(1964)」「アポロンの地獄(1967)」「テレオマ(1968)」を続けて発表し、独創的な映像美で好評を博した。またセルジョ・レオーネが黒澤明の「用心棒(1961)」に影響を受け「荒野の用心棒(1964)」を発表したのを期にマカロニ・ウェスタン<uームが起こり、1970年代へと続く。
【1970年代】

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04月03日(土)
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