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ATFの戦争映画観戦記
by ATF
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■【File099】あゝ邦画戦争映画は燃えているか・・・Shall We タンク!【後編】
「戦国自衛隊」の劇場公開は1979年12月5日・・・撮影開始は1979年8月初旬・・・撮影自体は正味3ケ月半程度だった様です。撮影開始直後の8月19日、東京北区の距髢リ技研(耐震製品製造会社)において角川事務所主催で「戦国自衛隊61式戦車完成キャンペーン」が催され、本格デビュー以前の薬師丸ひろ子さんが参加したそうです・・・という事は戦国61式戦車が登場するシーンは、編集作業を差し引くと、大体9月初旬〜11月前半の2ケ月間で撮影されています。映画パンフには戦国61式戦車の製作期間が2ケ月半と記載されてるので、逆算すれば撮影開始2ケ月前に製作が開始されています。映画の企画がスタートした段階で、戦車の登場が決定されていたかは不明ですが、ひょっとすると当初は戦車は登場せず、APCがメインだったのかもしれません。映画の流れは@タイムスリップと混乱A黒田勢の砦の攻防B矢野派叛乱B春日山城での小泉越前守暗殺D川中島の合戦E妙蓮寺でのラスト・・・となり、この内61式戦車が登場するのは@ADのシーン。原作ではタイムスリップする自衛隊員たちは一個小隊規模で燃料・兵器・弾薬も豊富、よってラストに至るまで数多くの戦闘を繰り返します。しかしそのままでは映画化できません。ハイライトシーンである川中島の合戦は、構成上最も重要です。原作より戦闘場面を少なくし、逆に川中島の合戦を盛り上げる・・・さらに話題性を高め宣伝効果をアップする。こうして戦車の出演が決定したのではないでしょうか(当初は61式戦車でなく74式戦車を登場させる計画もあったとか)。当然最初は自衛隊へ貸出交渉が行われた様ですが、以前書いた様に「国民を守る為の自衛隊の兵器を、例え時代は違うにせよ、同じ日本人を追いかけ回す様な設定の映画に出演させられない」って門前払い。それじゃ自前で・・・こうして世界有数のプロップ戦車戦国61式戦車が誕生しました。前述の「・・・戦車完成キャンペーン」の時に、千葉氏が「この戦車は本物です!」と言っていたそうです・・・。その言葉は正確ではないにしろ、スクリーンに映し出された戦国61式戦車の姿を見たATFは、地方の小さな映画館で思わず身を乗り出して観入った記憶があります。ところで公開当時のプレス情報では、戦車の製作費は6000万円との事でした・・・ところが公開前の情報では3000万円で、映画パンフでは8000万円となっています。本当は幾らだったのか・・・実際はもっと安かったのでは?実は「戦国自衛隊」撮影中の1979年10月にテレ朝系で放送開始された「西部警察」の第一話「無防備都市前編・後編」で、テロリストに強奪され大門軍団と死闘を演じる米軍の新型装甲車・・・150mm砲装備(名称:LADYBIRD)・・・が登場し話題になりました。結局は大門軍団の作戦で火だるまにさせられます(その後「おれたちひょうきん族」に出演し、ブラックデビルが砲塔から身を乗り出し、人気の無い早朝の街中でタケちゃんマンを追いかけ廻していた&数年前まで伊豆にある某テーマパークで赤錆びた姿を晒していたとか)が、その装甲車の制作費がなんと5000万円だったとか・・・どう見ても元は建設用ドーザーってのが見え見えで、この程度の改造なら実際一桁少ないんじゃないの・・・5000万円ってのは前宣伝用のガセネタか?で、それに対抗して戦国61式戦車の6000万円って額が出てきたんじゃないのか・・・と思えてきます。「戦国自衛隊」公開当日・・・渋谷道玄坂(一説には銀座)の某映画館の前に、この戦国61式戦車が陳列されていました。そしてなんと、その場で売りに出されていたそうです・・・販売価格は1000万円(異説では1800万円/APCハーフトラックは100万円、1/4dトラックが50万円だったらしい)・・・で販売用キャッチコピーは「誰でも操縦が簡単!!」

【10年間は使用可能・・・のお墨付き!】

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11月30日(日)
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