ID:47402
ATFの戦争映画観戦記
by ATF
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■【File122】スペイン内戦勃発70周年・・・誰がために鐘は鳴るなり豆戦車@
第一次大戦中、米国では仏製ルノーFT17軽戦車をコピーした6d戦車を改良・国産化したM1917戦車を開発していましたが、結局第一次大戦末期に参戦したにも関わらず、自国軍戦車を実戦に参加させたという記録はありません。これは戦場における戦車の運用・整備技術が未だ確立されていなかった事と、既に英軍や仏軍が大量に戦車を投入していた為に今更投入する必要がなかったからだと考えられます。結局M1917戦車が正式に採用されたのは第一次大戦後の1919年になってからでした。実は米国では1916年にホルト社の民間用トラクターに装甲と旋回砲塔を取り付けて改良した独自原型戦車を開発されていましたが、結局仏製ルノーFT17軽戦車をベースとしたM1917戦車を採用する事となったのは、周囲を海に囲まれ欧州の戦場からも遠く、対外戦争構想の中心戦力は海軍で、また当時は当面外敵の侵略の心配も無く諸外国との外交状況も良好、国内の治安対策の方が優先されていた為に、まだ兵器としては生まれたばかりで海のものとも山のものとも判断するのが難しかった戦車を独自で開発するより、既に欧州の戦場で実績のあった仏製ルノーFT17軽戦車をライセンス生産・改良し配備する方が有効であると、時の政府や軍の首脳が判断した為だと思われます。結局M1917戦車は1930年代まで第一線部隊で運用されます。しかし1930年代には世界各国では第二世代戦車の開発が進み、M1917戦車は一挙に旧式化。その為、米国においても軍や民間各社において様々な装甲戦闘車両の試作・開発が進みます。その中には後の旧ソ連や英国戦車に多大な影響を与える事になる、独特な懸架装置により高速走行を可能としたクリスティー製(T5/M1931)戦車がありましたが、米軍では余り重視されませんでした。そんな中で後の米軍戦車の祖とも言えるT1(M1)型コンバットカー(歩兵支援戦闘車)が開発されます。1932年からはマッカーサー陸軍参謀総長による陸軍の機械化計画が進められ、前述のT1(M1)型コンバットカー(戦闘車)を基にしたT2(M2)軽戦車が誕生・・・更に発展・改良が続けられ、第二次大戦前半の米英軍軽戦車の主力となるM3軽戦車の開発へと続いて行くのでした。
【参考作品@】『パットン大戦車軍団(PATTON/1970)』でパットン将軍を演じたジョージ・C・スコットが、同じくパットン将軍の晩年と臨終を演じた『パットン将軍最後の日々(THE LAST DAYS OF PATTON/1985)』と言う作品の中の回想シーンでは、若きパットンが頭の固い米陸軍の騎兵将校たちの前で、新兵器である戦車のデモンストレーションを行うシーンがあります。ここではなんとパットン夫人がカールデンロイド型の豆戦車の操縦を行っています。女性でも簡単に操縦出来るって言う事をアピールしたかったのでしょうか・・・ね。実話なんでしょうか?
【参考作品A】米国刑事ドラマ『特捜刑事マイアミ・バイス』や『刑事ナッシュ・ブリッジス』で知られるドン・ジョンソン主演の『遥かなる栄光(IN PURSUIT OF HONOR/1995)』は、マッカーサーによる米陸軍の機械化計画の為、手塩にかけた軍馬が屠殺される事に反抗した米軍の騎兵たちが、軍馬を引き連れてカナダへ亡命するという実話を基にした作品ですが、この中で逃亡する騎兵たちを追跡する部隊は、M1917戦車やM2スカウトカー等を配備した機械化部隊です。しかし肝心のM1917戦車は長距離の追跡が不可能な為、通常トラックに積載されて移動するのですが、いざ逃亡騎兵たちを攻撃する場面ではエンストを起こし全く役に立ちません・・・トホホ。
【工業大国アメリカの戦車開発史補説@・・・マーモン・ヘリントンの系譜】
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07月17日(月)
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